皆さま、お早うございます。本セミナーの実行委員長を務めております、社会福祉法人南高愛隣会・理事/東京事業本部長の松友でございます。
開会に当たりまして、企画・実行責任者として、一言ご挨拶申し上げます。
全国よりご参集いただきました受講者の皆さま、良くぞ「まぼろしの邪馬台国」・島原半島にまでお越しくださいました。
心から歓迎いたします。セミナーでの激論とともに、歴史と自然、文化とスポーツの里の秋を、
どうか心行くまで堪能してお帰りください。
ご多忙の中、出演をお引き受けいただき、遠い地までお越しいただきました講師、シンポジスト、コーディネーターの皆さまには、
衷心より感謝申し上げます。これだけのメンバーが一同に会しただけでも<事件>です。わが国のchange(変革)の兆しです。
そして、今回もご共催いただきました讀賣新聞社には、改めて厚く御礼申し上げます。丁寧で刺激的な毎回の「報告」の記事により、
本セミナーは全国で認知され、各方面に影響を与えることが出来たといえましょう。本当に有難うございました。
感謝・歓迎とともに、最初にお詫びしなければならないことがあります。それは、プログラム(講師)の一部が変更されたことです。
記念講演の辻哲夫さまは、最後までご出演へ向けてご奮闘いただきましたが、本務の都合で講演が叶わなくなりました。
しかしその代わりに、東京・山谷で素晴らしい実践をなされている、NPO法人ふるさとの会の水田恵さんをお迎えできました。
また、シンポジウム2には、あの高名な日本ダルクの近藤恒夫代表に加わっていただけることになりました。お二人に感謝申し上げます。
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さて、このセミナーは、今年で7回目を迎えます。島原半島・雲仙の地から、全国へメッセージを届けたく、
報告と議論の熱気を噴出したのは、2002年の夏・8月のことであります。そしてその年は、障害分野にとっては歴史的な年でありました。
秋には北海道でDPI〈障害者インターナショナル〉の世界会議が開催され、
大阪と滋賀で「アジア・太平洋障害者の十年」最終年記念のNGO/GOの国際会議があり、第2次「十年」の行動計画『びわこ宣言』が採択され、
そこで「バリアフリー(barrier free)でインクルーシヴ(inclusive)な社会」を目指すことが高らかに謳い上げられ、
わが国も長期計画の中で、政府としてはじめて「インクルージョン(inclusion])」の用語を用いました。
それから7年、何が変わり、何が変わらなかったか。自問しています。
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国連の障害者権利条約は、NGOの参加を初めて正式に認めた、特別委員会を重ねた後に総会で正式に議決され、
わが国を含めた多くの政府の署名により成立し、各国で批准のための運動が進められています。国内の法や制度に、条約がどのように反映するのか。差別禁止法の制定は可能なのか。障害者虐待防止法はなぜないのか。議論が高まっています。
国内的には、じつに目まぐるしく、劇的に制度が変わった期間です。「行政処分から自己決定へ」という呼び声の下、
社会福祉基礎構造改革が大胆に進められました。支援費制度が始まり、破綻し、障害者自立支援法がスタートしました。
この法の評価はさまざまですが、私たちはその理念と戦略を評価し、財源を初めとした強化・充実を求めています。
しかし、賛否両論の意見が噴出し、まさに百花繚乱の様を呈しています。予定された「3年目の見直し」を前に、
社会保障審議会障害者部会が月2回のペースで開かれ、熱い議論が進められていますが、典型的な混迷状態が続いています。
一昨日も第43回の委員会が開催されましたが、絵に描いたような堂々巡りの議論でした。
見事に変わらなかったのは、介護保険制度の普遍化であります。すなわち、介護の必要な人すべてを、年齢で区切らずに給付の対象とする、
という案は、一部の人から蛇蝎のごとく嫌われ、否定されてきました。年齢や問題等によって、法律や財源が分断されてきたわが国の福祉制度は、
統合と連携が模索されることなく、議論さえも断絶が続いています。
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この間、急速に浮上してきたのが、社会の格差の問題です。新自由主義とグロバリゼーションの進行する中で、
あらゆる関係が市場の中で評価・競争され、いわゆる「勝ち組」と「負け組」という形での、社会的な分断が鮮明になってきました。
そして、「イエ(家)」や「ムラ(村)」という伝統的な支えがとうの昔に衰退し、「カイシャ(会社)」や「クミアイ(組合)」に根ざした、
日本型の互助組織も変質・弱体化する中で、一人一人の個人は孤立し、分散しています。
さまざまな理由で、社会的な<排除(exclusion)>が進んできました。福祉の分野に於いてさえ、施設収容という形での<排除>が、
美辞麗句と居直りの合唱の中で、今日に至るまで正当化されています。『施設』という物理的な建造物の名称が、
システムの呼び名として疑問なく使われ、本質的な内容の見直し議論さえ進んでいません。
この間、私たちが取り組んできた、「罪を犯した障害者」の地域生活支援の問題は、まさに典型的な<排除>への切り込みであったのです。
多くの人が、福祉の取り組みの不十分さの中で、「罪を犯す」状況に追い込まれています。少なくとも、福祉の力によって、
地域生活を可能にすることが出来る、という事実に私たちは気付いたのです。
そして、この問題意識は障害者を越えて、高齢者や野宿者(ホームレス)等、援助の必要な人すべての問題に発展しました。
「医療モデル」でなく「社会モデル」で理解した場合、「罪を犯した障害者」の問題は、すべての「要援助刑余者」の問題へ発展します。
今年のセミナーは、この問題意識で組み立てられています。「排除する」ことでなく「包みこむ」ことは、私たちがこれまで提起してきた、
「ふつうの場所で、ふつうの暮らしを!」と同じ意味であります。その可能性を、さまざまな形で問いたいと思います。
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分断と排除が進む中で、新しい形の社会的な統合と連帯を求める動きが始まっています。
それは、言い換えると新たな<絆>を見出す取り組みです。物理的なバリアーや制度的な制限を粉砕し、
ステレオタイプの誤解や偏見を正しながら、市民的な<繋がり>を作ることが、さまざまな分野で進められています。
それは、「ダルク」のような当事者同士の助け合い(ピア・サポート)から、「スペシャル・オリンッピクス」のような市民・ボランティアによる支援に至るまで、さまざまな形でなされています。
「連帯を求めて、孤立を恐れず」という、懐かしい60年代のスローガンを改めて思い起こします。しかし、
孤立に至る連帯の呼びかけであってはなりません。そこには、統合という明確な方向性が意識される必要があります。
人は社会的な存在であり、一人では生きられない、という事実を改めて思い起こします。そして、社会の中において、
言い換えると地域での生活の中において、初めて人としての尊厳が守られるのです。
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今回のセミナーの準備の過程で、最後までヒヤヒヤしたのは、政治状況(政局)の動きであります。
国民の信を問う衆議院の解散・総選挙は、緊急かつ必然であります。しかし、それが何時なされるのか。
各方面の関係者と違った意味で、ヤキモキしました。一時は、明日(11月9日)が投票日というニュースが流れました。
しかし、ご存知のとおり、未だ解散さえなされていません。今は、別の意味でヤキモキしています。
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混迷する時代に立ち向かう時、私たちは無力さを感じてしまいます。闘う方法論の以前に、その気力さえ奪われている感がします。
本当に変革(change)は可能なのか。その挑戦に勝利の女神は微笑むのか。
このセミナーは、その力を授かる・勝ち取る(エンパワーする)場であると信じます。私たちは、「包みこむ社会」の可能性への問いに、
声を合わせて答えたいと思います。
「Yes, we can!(そう!できるとも)」と。
そして、それは「今しかない!」と。
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ここで、このような場にはふさわしくないのですが、私の個人的な意見を述べることをお許しください。
私は、隣利の佐賀県で6人兄弟の末っ子として生まれ、育ちました。すぐ上の兄には、知的障害があります。
そして、38歳になる私の長男も、てんかんと知的障害があり、雲仙の地で支援を受けながら暮らしています。私の思想形成に、
障害のある二人の存在が強く影響しました。そして同時に、隣の県(長崎)に投下された原子爆弾の惨禍が、
社会的な思考の原点でもあります。そのため、「仕方がなかった(We could not do)」という弁解は認められない。
「Yes, you could do(いや、あなたは出来た)」と指摘したい。
それは、政権を1年足らずで放り出した福田前総理にも当てはまる。「I can not do(私は何も出来ない)」、
「あなたとは違うんです」とキレた人の名を、私たちは忘れてはならない。同じ<福田>でも、
薬害肝炎訴訟の原告として闘ってきた福田衣里子(えりこ)さんは、最後まであきらめなかった。
「Yes, we can!(そう!できるとも)」と信じ、闘い、そして勝利したのです。福田衣里子さんは、ここ長崎で生まれ、長崎で育ち、
長崎で闘って来ました。彼女の闘いを、これからも支援していきたいと思っています。
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昨日の事業所視察から明日のシンポジウムまで、濃厚な時間が続きます。本日の「ウエルカム・ナイトセッション」の終了後には、
プロジェクト研究の委員会も開催されます。温泉に入る時間を見出すのが困難な程です。地域の事情により、
宿泊会場は分散してしまいましたが、どうか夜を徹して語り合ってください。
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簡単ですが、開会の挨拶とさせていただきました。
有難うございました。
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