結論から述べると、上村さんが一貫して単独犯行を供述していたこと、検察官が村木課長指示の供述を執拗に押しつけ再逮捕などの脅かしや早期保釈などの利益誘導を続けていたこと、そして一度指示を認めた調書にサインすると後はいくら訂正を求めても検察官は全く聞く耳を持たないためついにあきらめの心境に至ってしまったことなどの経緯が明らかになりました。
被疑者ノートとは、逮捕・拘留されている被疑者が毎日の取り調べの状況や健康状態を記したノートです。その日のうち(あるいは翌朝)に書くため検事とのやりとりや感想が生々しくつづられています。公判では弁護人がこのノートの主要部分を1日分ずつ読んだ上で上村証人に質問する、というやりとりを繰り返しました。 読み上げられた被疑者ノートの内容と上村証人の証言を出来る限り忠実にご紹介します。(『 』は被疑者ノート、◎は証言)
『「証明書は倉沢が村木から直接もらったことになっている。私の記述は浮いている」と言われた。どうしても私と村木をつなげたいらしい。』
『下に責任を押しつける厚労省の体質を改めるべき。このままいくと上村さんがうそをついていると思われてしまう。』
◎「うそをついていると思われてしまう」というのは自分の独断でやったという主張を貫くとぼくがうそをついていると思われるということ。
『これだけ固められると逃れられない。記憶はないけど私が村木に証明書を渡したことを認めた。凛の会側のメモや手帳という記録には記憶は勝てない。』
『私が証明書を渡したことを「うそ」ということにされてしまった。私の記憶にないことを作文されている。こういう作文こそ偽造ではないか。』
『いかにも厚労省のため私のためとか言っているが信用できない。』
『冤罪はこうして始まるのかな。』
『今日のことは弁護人には言うな。』
『村木のデスクに呼ばれたところを近くの人が見ている。』
『当時の室長補佐の供述調書読みきかせ。』
『(訂正されなかったのは)村木からの指示、村木から渡したという点。』
『(取調事項)1回目は塩田と村木を中心に国会議員とのつきあい。2回目は当時の政治的背景』
『(取調官の言葉)全然覚えていないから他人の力を借りるより仕方がない。偽証罪にはかからない。』
『調書の修正は完全にあきらめた。』
『村木が倉沢の目の前で郵政公社に電話した。郵政公社の支社長と村木の夫が知り合い。』
『面倒なことは先送り。責任回避の性格。相談する相手がいなかったことも原因ではと検事が言っていた。』
『村木、塩田の関与について取り調べ。厚生労働省の組織的犯罪にしたいようだ。
村木から後づけの決裁は必要ないと指示という調書になっている。作文に近いが、検事の作文にのるという決断をした以上しかたがない。』
『余罪、大臣印3件の無断使用。』
◎村木さんの逮捕を知ったのはラジオのニュースかもしれない。検事が検事総長まで了解している、と言っていた。自分の記憶と反しており、自分が偽りの供述を維持したことがかなり影響したのかな、申し訳ないと思った。
『裁判官に話したことは訂正しないと言ったら、検事は少し涙目になった。』
『捜査の構図は当初から決められていてこれに私の証言と倉沢の証言を合わせる必要があるので、検事も上から言われて苦しんでいるのではないか、と聞いた。しかし、私は村木から指示され証明書を渡したことは記憶にない。思い出せない。』
『(取調官の言葉)検事が司法修習生との懇談会に出た時、「どうしても自白しないときはどうするか」と聞かれて、検事は「拷問する」と答えて上層部から注意を受けた。
記憶にないといつまでも言っているといずれ強引な手段もあると聞こえプレッシャーを感じた。』
『取調べ時間が今週に入って急に長くなっている。最近は、思い出せるものならとっくに思い出している、という怒りにも似た感情がわいてくる。』
『眠い。けど眠れない。弁護士接見の時に少し寝かせてもらった。』
『村木の関与について全く聞く耳を持たない。毎回毎回バカバカしい。』
『今でも単独でやったと思っているかと検事に聞かれて、私の記憶では私が決断して河野に渡した。と答えると、否認するわけね。関係者全員の証人尋問だ、と言われてプレッシャーを感じた。』
『(取調の状況)トランプ遊び約2時間。この余裕は一体何?』
『村木からの指示は無く、村木が証明書を渡したのではなく弁護士会館のB1のメトロで河野に渡したのが自分の記憶である、と供述したが、調書はすでにできあがっていて署名捺印は拒める状況ではなかった。保釈という甘いえさの誘惑に負けてしまった。』
『保釈は検察庁としても反対しない。』
『留置管理係の上司が部屋を訪ねてきて、村木から指示されて証明書を作り村木に渡したというのは記憶と違うことをありのままに話した。今が一番苦しいが検察と闘わなければならない、と励ましてくれた。』
『(再び検事が代わり)A検事がプレッシャーをかけてきた。前日のB検事とトーンが違う。』
『拘留中の調書について、精神的に不安定になって妄想を語った訳ではない、と私が語ったことになっている。悔しく不本意。余罪の自白時期について調書の訂正を申し出たかったが黙っていた。』
『凛の会について組織的犯罪ではないとするならば余罪についても考え方を変えなくてはならない。再逮捕?』
『裁判における反省の言葉を書けと言われた。裁判で想定外のことを言われたら困るから一筆書かせて洗脳しておけ、と言われているのかもしれない。これ以上のことは出てから考える、今は冷静になれない、と言ったら明らかに目の色が変わった。』
『調書がたくさん取ったのはよほど不安なんだな。こんなに調書を取るとかえって裁判官に不審がられないだろうか。かえって逆効果のように思える。』
『この期に及んでトランプとは。これで私を手の内に入れたつもりなのだろうか。』
石井一参議院議員が証人として出廷しました。
~「これは政治案件ですよ」は、真っ赤な嘘~」
3月4日(木)、朝から小雨そぼふる中、大阪地裁へ。今日はジャーナリストの江川紹子さんも東京から傍聴に来られ、地裁で合流。
今日は石井一参議院議員の出廷日ということで傍聴券の抽選があるため、駐車場に人の列。初公判が4倍だったことを思うと想像したほど多くない。私は家族傍聴券を戴いていたが、運だめし(?)と思って並んでみたが・・・くじ運の悪い私は、やっぱり外れた! せっかくなので抽選券に当たった江川さんと記念写真を撮らせて戴こうとカメラを構えたら「敷地内撮影禁止っ!」と、警備員にどえらく怒られる。朝からとほほな私・・・(^^;)
仕方なく、地裁の敷地から出て、傍聴券の当たった江川さんとツーショット。
10時開廷。石井議員入廷。白髪、大柄。選挙区が私の住む「兵庫一区」なので、選挙カーや路上演説などでお見かけしたことはあるが、間近に会うのは初めて。「こわもて」の印象を抱いてたが、終始、穏やかな声で話された。証言席に移る前に、秘書がペットボトルのお茶を渡し、一口飲んで証言席へ。
石井氏は弁護側証人なので、宣誓の後、弘中弁護士からの質問で尋問開始。まずは1969年衆議院議員初当選から今日までの経歴や所属した委員会などが語られる。外交、防衛・安保、国土交通、都市開発に関する委員や選対委員長歴任など。
弘中弁護士が「厚労省の委員会はありますか? 」と聞いたあと「いわゆる厚労族議員かということですが」と直截にいったので、廷内にちょっと笑い。「厚労委員会に属したことはなかったと思うが・・・私は何省の族議員でもない」と、ちょっとムッとした口調で石井氏。
「本事件に関わった倉沢を知ってますか?」弘中弁護士の質問が核心に触れ始める。「勿論!」と、石井氏。弘中氏「どんな人でしたか?」「1982年に秘書公募で採用した。礼儀正しい人だったが、1年後の選挙で私が落選した時に事務所を離れ、その後、職を転々とした後、弟(石井一二氏)の秘書になったので、わたしにとっては弟の秘書という印象が強い。」と石井氏。「1年で辞めたので、重要な仕事は担当していない。」とも。
この後、何度も石井氏は、 倉沢被告が自分にとって重要人物ではないことを繰り返し述べる。「彼は私のインナーサークルの人ではない。奥さんが働いて支えてるとも聞いたし、失礼な言い方になるが、職を転々としてるので、どこで何をしてるか知らない。いわば周辺の人だ。」クールでかなり突き放した言い方。「インナーサークルの人ではない」という言葉を聞いた時は、なぜだか背筋がゾワッと。
弘中氏「あなたは、倉沢氏とどの程度の接触が有ったのでしょう?」石井氏「私は克明に手帳をつける性格で、いつ誰と、どんな要件で会って、どう対応したかなどを全て書いている。それによると・・・倉沢に会ったのは、2001年1回、02,02年0回、04年2回・・・007年は選挙があり、 かなり会っているが、それでも6回。つまり平均すると年に1-2回事務所に顔を出す程度ということです。」と石井氏。
弘中氏「次にお聞きしますが、あなたは厚労省社会援護局元部長の塩田幸雄氏との面識はありますか?」。石井氏「覚えがありません。長年議員をしていると、相手は僕を知っててもこちらは記憶がないということが、いくらでもあります。塩田さんというのは直接会ったこともないし、顔も思い浮かばない。」弘中氏「塩田氏は、阪神淡路大震災後の復興委員会であなたに会ったと言ってますが・・・」石井氏「兵庫一区は被害が大きかったので、会った事実がないとはいえないが、覚えがありません。」
「では・・・」弘中氏の口調が少し厳しくなる「平成16年2月下旬頃、あなたが塩田氏に、障害者団体の件で相談が行くので、よく聞いてやって欲しいと、電話したことは?」。石井氏「全くありません。働きかけなど一切していません。」弘中氏「そのようなことが、あたかも有ったような報道が多々なされて、あなたは名誉毀損の訴えを起こされていますね。」
「訴訟など起こしたくなかったっんですが・・・」石井氏の声のボリュームが少し上がる。「報道がなされた2009年春は総選挙前の大変な時期ですよ。まして党副代表でしたから。その時期に、新聞、TV、週刊誌などで毎日毎日、身に覚えのないことが報道され、カメラやマスコミがいつもついてくる。そんな状況が続いて本当に困りました。
そのうち「キャリアウーマンが私の依頼に抗しきれなかった!」などというタイトルが地下鉄の中吊りにも載る有様で・・・」石井氏は真剣に訴える。しかし「ついには男女関係でもあるのかという電話までかかってくるようになり・・・」と話しはじめると、廷内のあちこちで笑いが起きる。
う~ん、ちょっと自慢っぽいかも。(^^;)
「まぁ、そのような訳で弁護士に相談して、身の潔白を証明するために週刊誌を訴えたのです。」
その後、石井氏は「今日なぜ出廷したか」を問われ「私自身もマスコミに書かれて相当辛い思いをしたが、村木さんという女性局長は高知の大学を出て東大卒の競争の中であそこまで上り詰めた。それなのに被告人の席に立たされて、さぞ 辛く苦しいだろうと、その心情を思い、同情の気持ちから、今日の出廷を決めた。」と語った。
「では問題の、平成16年2月25日についてお聞きします。」弘中弁護士の厳しい口調に、廷内が静まる。「これが倉沢の手帳ですが・・・」法廷内の左右の壁にかけられた 大きなディスプレイに、手帳が写しだされる。
「この日の倉沢の手帳には<13時 石井一、木村>との記述があり、これが本事件にあなたが関与している・・・口添えを依頼され、厚労省に働きかけた、という疑いに繋がってるのですが、あなたはこの日、倉沢と会われてますか?」。石井氏「絶対ありえません!私は過去40年間、その日の出来事を手帳に記録してますから・・・200冊になるんですよ。それを確認してもらえれば・・・」
石井氏の言葉を受けて弘中氏が「手帳を!」と、裁判長に要請したとたん、検事が「異議あり!」と大声で叫びながら立ち上がる。公判前整理手続で証拠採用していないものを、突然出すな、というのが検事の言い分だ。「採用できません!」検事の顔が真っ赤になる。「ダメです!」「認められません!」
「では、証拠採用が必要な理由を述べます。」と弘中氏が冷静に話し始める。「まず何より、石井氏の関与を言ってるのは検察官です。これを争う場で、否定材料を提出するのは、当たり前ではないですか?」。立ち上がった検事は着席するのも忘れて、真っ赤な顔のままで弘中氏を見つめている。
「公判前整理手続の段階では、石井氏が克明に手帳に記録をとる方だとは分かりませんでした。しかし本件について、昨年9月に石井氏が事情聴取を受けた時、実は石井氏は手帳を検察官に見せているんですよ。検察官がきちんと見なかっただけです。石井さん、その時の検察官がここに居ますか?」「はい」石井氏が 検事席を見ながら答える。
「そこにおられる・・・少し太られてメガネもかけておられるので別人のように見えるが、あの方です。」名指しされたM検事、ちょっと顔を赤らめて、俯く。
私は驚いて傍聴席で飛び上がった。なぜならこの事件は「石井議員の口利きに端を発した、政官がグルになって犯した犯罪」と検察は言い続けているにも関わらず、捜査時点はおろか逮捕・起訴後3ヶ月の間、倉沢の供述の裏付け捜査を一切行っていないということが明らかになったからだ。ようやく9月に入って、あわてて石井議員から話を聞いたのだろう。
検察は、事件の端緒になる口利きについて最も基本的な裏付け捜査もせずに、主犯の供述だけを基にして厚子さんを逮捕・起訴していたことになる。何という暴挙! 何という怠慢! 開いた口が塞がらないとは、こういうことだ!!
「そのような訳で、手帳の証拠採用をして戴きたい!」弘中氏の言葉に、裁判長が頷く。
ディスプレイに、石井氏の手帳がアップで映し出される。「2004年2月25日・・・この日に丸印がついてますが、これは?」「それはゴルフの日、という印です」と石井氏。「7:56ティーオフと書かれてますね。どこのゴルフ場ですか?」「成田です。」しばらく、参加メンバーやスコア、何時頃終わったというような会話が続く。
「この手帳を、あなたはM検事に見せたんですよね。事情聴取の場所は?」「大阪のリーガロイヤルホテルでした。」と石井氏。
う~む、国会議員を呼び出す時は一流ホテルで話を聞くのか・・・と心のなかでツッコミを入れる私。
「(事情聴取なので)会話は録音されてるはずですね?」と弘中氏。うなずく石井氏。その後、手帳を精緻に点検しながら弘中氏と石井氏のやりとりが続き、その日はどのようにしても石井氏が倉沢に会うことは出来なかったことが判明。
記者たちが、バラバラっと法廷外に飛び出す。今日の報道は「石井議員、その日はゴルフ!」やね、きっと。
弘中弁護士の辣腕ぶりが、いかんなく発揮された午前の法廷だった。
11時過ぎ、少し休憩がとられると、石井氏は笑顔とドスの利いた声で弁護団席に座る厚子さんに近寄り「初めてお会いしますね」と声をかける。
立ち上がって微笑みながら一礼する厚子さん。
休憩の後は検事が尋問に立ち、石井議員の秘書の人数や役割分担、陳情対応などを聞いた後「あなたが凛の会を知ったのは?」と石井氏に問うた。
「2004年11月6日です。」と石井氏。それは偽造証明書が発行されてから、2年10ヶ月も後のことだ。「議員会館ではなく、十全ビルのオフィスで会いました。」
「選挙の手伝いをすると言って来た倉沢が、選挙関係の話をした後、新聞のようなものを僕に見せて、これを選挙に活用してはどうか、と提案するので見ると<凛>と書いてあった。これを選挙公報に使うと、障害者郵便なので安く送れる。8円だかなんだか、そんな話だった。でも障害者関係を熱心にやってる議員は他に居るし・・・障害者にしか送れないんじゃあまり意味もないし・・・あ、もしかしたら、誰にでも送れるのかな?これは村木さんに聞いたほうが早いか。」と、そこまで言ってニッコリ笑う石井氏。傍聴席にも笑い声。
「まぁそんな訳で、断ったよ。倉沢もそれ以上言わなかったしね。」
「僕はね、倉沢には犯罪は構成できないと思うんだ。使われたり、利用されたりするタイプだよ彼は。今はどうしてるか全く知らんね。」
12時過ぎたので、ここで昼休みとなる。地裁駐車場前の喫茶店で、アイスティを飲みながらツイッターに「公判傍聴記速報」を打ち込む。パソコンを閉じる前にツイッター・サイトをのぞくと、江川さんも凄いスピードで速報をUPしている。わぁ~い、ツイッター競演だ! とちょっと浮かれてたら、午後の法廷に入るのが少し遅れてしまった。
そろりと法廷の扉を開けると、わっ、なんやなんや! 検事と弘中弁護士が大声で言い争っているやないの!!
検事がまだ石井議員の手帳を「証拠採用できない!」「不意打ちだ!」などと叫んでいる。往生際の悪いやっちゃなぁ。「公判前整理手続で提示していなければダメだという法律など無いでしょう!」と弘中弁護士。怒鳴り合いが終わらないので裁判長が「ではこの件は後ほど。」と公判を続けるよう促す。
そして公判が再開されたが、その後の検事側の言動にはズッコケた。なんと検事側も、石井氏の手帳の平成16年2月25日のページをディスプレイに映し出して尋問を開始したのだ。しかもすでにゴルフ場に色々裏をとってることが丸わかりの尋問が続く。弘中氏が立ち上がり「そっちの調べたことも、証拠提出しなさいよ!裁判長、証拠請求します!」
「いや、これはまだ調査中のことなので・・・正式な書面化もしていないので、証拠ではない!」
検察側は、平成16年2月25日に石井氏がゴルフに行っていたことに気づき、こっそりゴルフ場や同行した関係者にあたっていたのだろう。弁護団に先を越されたことが悔しくてならないんやね、きっと。
検察側は、ゴルフに同行したK議員が、当日予算関係の委員会に出席していたことの「証拠」となる「委員会出席者名簿」を持ち出して(これだって証拠採用されていないコピーものやのに、自分が証拠のように使うのは、良いらしい)石井氏のゴルフというアリバイを崩そうとした。しかしその委員会は、出席してもしなくても「委員全員の名前が出席者名簿に掲載される」という慣習だということを石井氏が暴露し、もう法廷はしっちゃかめっちゃかの様相に。
最終的に裁判長の判断で、石井氏の手帳の「平成16年2月24日と25日」が「証拠採用」され、今日の公判が終わった。
傍聴者たちがみな、席からザワザワと立ち上がりかけた時、石井議員が「ひとこと、お話させて戴きたいことがある。」と声を張り上げた。
裁判長、検事、弁護団、傍聴者全員が石井氏が何を言うのかと耳を傾ける。
石井氏の、政務に鍛えられた大きな声が「私は、この裁判の結果は、検察庁の倫理・存在(意義)を問うていると思っている。検察が、公正無私で善であることを私は希望している。」と語った。
そして石井氏は、公判後の記者会見でも「あなたたちマスコミは、私を犯人扱いしてこられた。村木厚子さんも、大変つらい思いをしておられる。事実に基づかない報道を続けてこられた皆さんは、いったいこの責任をどうとるのか。情報の集め方にも問題があるのではないか」と、問題提起を投げかけて、大阪地裁を後にした。
最後に、今日の石井氏の証言の中で、最も印象に残った言葉を記しておこう。
「私は、顔はいかついが、実は心は優しいのですよ。」
笑いを誘うことも忘れない、関西人の石井さんであった。
倉沢が石井事務所を訪問して、証明書発行の口添えを依頼したという「2004年2月25日は、成田市でゴルフをしていた。倉沢とは会っていない。」「厚生労働省の塩田部長は、会話をした記憶はない」~石井一氏
第11回公判は、弁護側証人として石井一参議院議員(民主党選挙対策本部長)の証人尋問で裁判所横の通用口にもカメラがきていた。事件がマスコミでセンセーショナルに報道されていた時期は、2009年夏の総選挙の直前であり、いろいろな影響を受けたことを思い出しながら、抽選会場に行った。第1回公判でSさんとともに抽選に外れた私は、並んでいる人は初日の3分の一ぐらいだけれど、又外れるのかとどきどきしていたが、今回は二人とも大丈夫だった。私は、様々な日程と重なり、約1ヶ月ぶりの傍聴。傍聴席は、前に来たときは、1列目が記者席だったのに、2列目も記者席になっていた。
マスコミの頭撮りの後、始まった公判は、冒頭弁護人が証拠採用を求めた石井氏の手帳の採用を巡って検察側の異議と弁護側のやりとりが行われた。検察側曰く「公判前整理手続きの際も、事前手続きとしても示されていないのでやむを得ないとは判断できない。」これに対して弁護側は、事実関係について争うと第1回目公判でも表明しているその一環。手帳そのものが手に入ったのは最近。」と主張。証拠採用については公判後裁判長が判断するとされ、証人尋問が始まった。(当日の毎日新聞で「石井氏不在証明主張」などと報道があったので冒頭のやりとりはさもありなんという感じだった。)
*弁護側の石井氏の経歴と倉沢氏との関係についての質問で、石井氏は、
「1966年から40数年の議員生活で外交、防衛、安全保障、危機管理、都市問題、国対、選対関係が中心の活動で、文教や厚生労働は縁がなかった」「倉沢邦夫は、1982年公募で採用し1983年の選挙で落選するまでの約1年私設秘書だった。事務所を辞めた後は、2007年の参議院選挙に全国比例で出ることになった2006年8月に全国にいる元秘書と同じく、協力を要請し、倉沢くんには後援会の北関東の担当としてボランティア選挙スタッフとして協力をしてもらった。過去10年の事務所への出入りは、2001年に1回、2002年2003年は0回、2004年2005年は各2回、2006年4回、2007年6回、2008年2回、2009年0回、1983年~2001年までは年に1~2回程度で私のいないときにはきていないのではないか」
*「凜の会」との関わりについては
「2006年11月に選挙対策で事務所に来てもらい打ち合わせをしたが、その話が終わったときに、倉沢がタブロイド版の新聞『凜』を見せて、ここに写真や原稿を載せて全国に発送してはどうか。料金は8円ぐらいでとても安いと言ったが、私は、障害者の皆さんをバックにした候補者はすでにいるので、今更とってつけたようなことをしても効果はないし、失礼だと断った。その際、倉沢が会の代表を頼まれていていると聞いた。当日の案件の重要部分ではなかったので(断ったので)手帳にメモも記載していない。忘れていたが、この件が報道され、私の関与が取りざたされて、そういえばそんなやりとりをしたと思い出した。そのとき以外に倉沢と凜の会のことで会話をしたことはない。」
*倉沢氏が石井事務所を訪ね、口添えを依頼したという2004年2月25日について
石井氏は、約40年の議員生活中の活動について自身で振り返り返りができるように115㎜×100㎜厚さ10㎜の手帳を2ヶ月単位(1年で6冊)で作成・利用しており、日程の行き違いを避けるように神戸と東京の事務所にも大学ノートで同内容のスペアをおいており、事務所に戻ると秘書が日程について書き加え共有化していたという。
◆ここで弁護側が、石井氏の手帳を示そうとした時に検察側が、またもや冒頭と同じ主張を繰り返した。弁護側とのやりとりの中で、1月20日の石井氏と広中弁護側との打ち合わせの際、2004年2月25日どこにいたか解らないかと尋ねられ、石井氏は手帳が神戸に保管してあるのでと、神戸の秘書に問い合わせ、該当ページをファックスしてもらい、公判の4~5日前に本体を弁護士に渡したとのこと。また、このやりとりの中で、2009年9月に前田検事(当日在廷し、検察側尋問の多くを行った)が大阪のホテルで石井一氏を事情聴取した際に、石井氏は2004年分6冊を持参し、机上においた。それを、検事はパラパラとみたが、内容についての質問ややりとりはなかったとのこと。(このときに、検事が詳しく日程を検討すれば、その時点でシナリオは崩れた・・・?)
倉沢氏の手帳にある「2004年2月25日13時石井一」という内容について、石井氏は、2004年1月2月分の手帳を示し、当日は、ゴルフに行っていたと証言。当日は、予算委員会の集中審議の日で、メンバー以外は、国会の予定は入らない日となったので、一両日前にゴルフをセットし、千葉県成田市にあるゴルフ場に行った。帰りは4時少し前に出て、6持から予定していた赤坂での会合に間に合った。その間、事務所には立ち寄っていない。
検事から、当日2時からの文部科学委員会に出席しているとの議事録の記載の指摘があり、4時前まで一緒と言うことの矛盾を突いたが、石井氏より「国会の議事録は、出席者という記載は、差し替えや事前欠席届のあったもの以外は、メンバー全員の名前が記載される。出席時間など詳細な記録はない。出席予定で結果として欠席の人も出席者として記載されている。本人に確認しないと解らない。採決の時は厳密に把握する。予算委員会の集中審議の日は、原則として他の委員会は開かれないが、例外的に与野党の合意で短時間新しい大臣の基本質疑を入れたのだと思う。」と国会の議事録のファジーさが説明された。
また、ゴルフ場の当日の石井氏と参加メンバーの行動内容についてすでに検察側が捜査していることもやりとりの中で判明し、弁護側が判明している内容の開示を求めたが、検察側は、証拠としうる内容に整理できていないと言い張り、後日の取り扱いを主張した。広中弁護士と検事とのの激しいやりとりの上で弁護側から、裁判所として開示を求めることを要請。(検察側は、石井氏の手帳を証拠採用することを拒みながら、反論材料をそろえていたことが判明。のらりくらりと同じようなことを質問しながら、「これはどうだ」と出してくる。やはり、したたか・・・)
*塩田部長との関わりについて
塩田元部長は石井氏とは阪神淡路大震災の復興支援の会議で一緒だった。としている点について、石井氏は、多くの役人の方とお会いしたが、名前と顔に覚えがない。従って、働きかけたこともない。石井氏は、厚生労働関係に限らず、役所関係の陳情については、各省庁の国会詰めのメンバーに、前さばき的相談をしている。石井氏は、重ねて、問題になっている内容については、手帳も、面会録も陳情録も再度精査してもいいが、一切記載も記憶もないと述べた。
その他、週刊誌の報道への名誉毀損の民事訴訟が係争中であることや、倉沢氏の新会社設立パーティへの参加のいきさつなど、石井氏の思いが、縷々述べられた。
*今回の事件についての石井氏の思い
石井氏は、「弁護側証人となることを当初は少し躊躇したが、何故このような事件が起こるのか。どこに原因があるのか。30年前に秘書だった以外何もない。私は、政治家、世論に耐える。私がこれだけつらい思いをしているのに村木さんは法廷に立つ、つらいだろうと思った。自分の名誉回復という面もあるが、村木さんのために証人に立つと決めた」と今日が初対面の村木さんへの気遣いの発言もあった。
最後に、今日示された手帳は、必要箇所のみの抄本を証拠採用すると裁判長が述べ、閉廷を、宣言しかけたところで、石井氏は、「党は、昨日参議院選挙の公認を発表した。選挙対策本部長の私に今日は、何十組も面会に党本部に来ている。しかし、公の約束なので本日はここに来た。今日申し上げたことはすべて真実。今度の事件は、何か政治的な意図があるのか。何ら関わりのないものが巻き込まれ、多大な迷惑を被っている。前田検事にも申しあげたが、この裁判の結果は、検察庁の存在、公正を問うている。公正無私の面目を示してほしい」と少し、演説口調で締めくくられ、閉廷となった。
記者が何度も途中で法廷をどたばたと出て行く場面、法廷のスケッチする人が3人もいたなど注目度の高い公判だったが、この間、検察側の捏造が何度も明らかになっているのに、検察はなお、続けようというのかと怒りが改めてわいてきた。と同時に村木さんの穏やかな表情に励まされている自分に気がついた。季節の変わり目、村木さんには、一層健康に気をつけて、乗り切ってほしい。
前回に引き続いて元係長・上村勉被告と、北村定義・元企画課長補佐が証人として出廷しました。
3月3日、お雛祭りの今朝は、数日間の暖かさが去り、コートを羽織って自宅を出る。ゆとりを持って出かけたのに、JRが事故で(?)30分も遅れ、大阪地裁201号法廷に10時5分過ぎに駆け込む。でもなぜか上村氏の入廷が少し遅れ、10:10開廷となったので、冒頭から傍聴できることに。 ホッ。
検事から、被疑者ノートを中心とした尋問が続く。検事が確認し続けたのは「取調べ検事の作文だとあなたは証言してきたが、あなたはノートの各所で(調書に)同意してるだけでなく、取調べに不満が無い、という欄にもチェックを書き入れているではないか」「後日、書き加えたり書き直したりしたのではないか」の2点。
それに対して上村氏は「法廷で証拠として公開されることは全く知らなかったが、自分が後で(取調室で何があったか)読み返す必要を感じていたので、書き直しはしていない。」「不満がない、にチェックした時は、何を言っても無駄と感じて、もうどうでも良いやと投げやりになっていたから」と証言。
「村木課長は本当のことを言って欲しい、という記述もあるが?」と検事。「塩田さんが村木さんに指示したとか、誰かが郵政の森さんに電話したとか、検事から色々聞かされて、もしかしたら自分が単独で偽造した以外に、もう1枚証明書は偽造されたのでは?と思ってしまうほどだった。」
「だんだん僕は頭が混乱し、村木さんが何か知ってるなら話して欲しいと思った時もあったが、検事から偽造証明書は1枚だと聞いて、村木さんは絶対関与してないと確信できた。でもそれを何度言っても調書に書いてもらえなかった。」
検事「村木課長の関与を自分から言ったことは?」。上村「全くありません!」。検事「でも被疑者ノートに<村木関与を認めた>と書いてますよね」。上村「違います。認めさせられたという事です」。検事「自供したんじゃないんですか?」ここで弁護側より「異議あり!」の声。裁判長が異議を認める。
「でもあなたは・・・」検事が問いかけ方を変える。「村木さんの関与を積極的に否定してませんよね」。上村氏「はい」。検事「この段階(起訴前日)で、それをほのめかしでもしておかなければいけなかったのでは?裁判官からも最後のチャンスと声をかけられたのでしょう?」。
上村氏「怖くて・・・迷いに迷って、ああいうあいまいな書き方になってしまった。申し訳なかった。勇気がなかった。本当はしっかり書きたかった!」聞き取れないほどの声で証言を続ける上村氏の声が高まって来る。検事「村木さんが関与を否定してることは、知っていましたよね」。上村氏「はい。 でも追いつめられて、与えられる様々な情報に混乱して・・・」上村氏の声に嗚咽が混じり、ついに泣きながら叫ぶ。「今は、はっきり村木さんの無実を確認しています。村木さんは無実です!!」
検事側尋問が終わり、弁護側と交代となる。弘中惇一郎弁護士が立ち上がり、穏やかに話し始める。 弘中弁護士「厚労省と、あなたが河野氏に証明書を手渡しに行った弁護士会館の図面を確認してもらえますか。」図面が法廷のプロジェクタに映し出される。弘中氏「厚労省~地下道~エスカレータ~階段・・・ここで一瞬空が見えたというのは、こういう感じですね」次々写真が投影される、うなずく上村氏。
次に、弁護士会館地下の「喫茶メトロ」の写真と図面を弘中弁護士が提示し、それが法廷内のプロジェクタに映し出される。「この喫茶で間違いないですか? この写真にあなたと河野氏が座った席が写ってますか?写ってたら、図面に印をつけて下さい。」「はい、写っています。ここです。」と答えて上村氏はしっかりと記しをつける。
弘中氏とバトンタッチした信岡弁護士からは「改めて聞きますが、被疑者ノートの<不満が無い>にチェックしたことと、供述調書の修正を完全にあきらめた、ということの関連を教えて下さい」。上村氏「何度言ってもダメなんだから、もうどんな欄でも関係ないや、と投げやりになってしまっていました。」
最後に裁判長はじめ3人の裁判官から、証言全体を俯瞰した質問がいくつかなされ、上村氏の証言がすべて終わった。
「あんたの証明書偽造せいで、厚子さんは罪に陥れられたんやで!」
上村氏の証言を初めて聞いた日、私は怒っていた。傍聴席で怒りに震えながら上村氏の証言を聞いていた。厚子さんがそんな彼を慈母のような瞳で見つめていることにも「厚子さんも、もっと腹を立ててもえぇんちゃうん!」と感じながら傍聴記を書いた。でも3日間にわたる上村氏の証言を聞き、彼が取調べ室で、実は最初から一貫して「僕一人でやったことです。」と言い続けていたことが心底信じられた今、やはり厚子さん冤罪事件(と、はっきり言おう)を生み出したのは、上村氏ではないことを確信する。
おそらく彼には「障害者団体に、書類審査のスピードを上げることくらい、してあげても良いんじゃないか。ちょっとだけ便宜を図って、彼らの活動を少し応援することくらい、いいじゃないか・・・」という、親切心や同情心も有ったのではないか、と思う。そんなふうに思えるほど、上村氏の証言の正直さと涙は、私の胸に切なく残った。
でもその心情を巨額の利益に利用した詐欺師たちがおり、その詐欺事件の構図を「政治家と省ぐるみの巨悪の構図」に書き換え、厚子さんを大犯罪者に仕立て上げた輩が居る。今日から先の公判は、その輩が断罪される公判であるべきだ。
◇
午後の公判は、上村氏の上司であった企画課課長補佐、北村氏の出廷。
ここでもまた、今まで出廷した証言者のすべてが語ったように「検察の誘導尋問」が明らかになった。北村氏は、厚労省を訪れた倉沢被告を、村木厚子企画課長や社会参加推進室の室長らに引き合わせ、上村氏の証明書偽造を直接指示したとされている。
彼も取調べで一貫して「そもそも、倉沢氏に会った記憶がない」と言い続けてきたが、検事から「倉沢があなたの名刺を持っている。これは政治案件であり、石井議員、村木課長、そして社会参加推進室という流れは分かってるんだ。」と、東京地検に呼び出された最初の日に言われたそうだ。
「倉沢氏が名刺を持っているというだけではなく、誰それがこう言って、誰それもこう証言している、と言われ続け、自分も記憶力に自信があるわけではないので、いつしか、そういうこともあり得るのか・・・と揺らいでしまった。」
しかも最初から「被疑者」としての尋問で、恐ろしさから逃れたい気持ちでいっぱいだった。「知らない」「記憶に無い」と言うと「一泊でも二泊でもして行くか!?」とか「検察をなめるなよ」とか大声で言われ、調書に署名してしまった。と語る北村氏。
その後、度重なる取調べと何通も作成された調書をとりまとめる日もあったが、訂正や修正を言い出せなかった。村木さんを陥れるつもりなど、全く無かったし、こういう結果になったことを大変申し訳なく思っている。
しかし・・・と、ここで声をあらためた北村氏の証言に、法廷内の皆が驚愕することに。「倉沢が私の名刺を持っている、ということが実は嘘だったんです! 私はやはり倉沢と会ってなかったんです。」「いつそれを知りましたか?」と弘中弁護士。「つい先日。公判のために検事と打合せをしている時です。」
前回の傍聴記で私は「検察の取調べノウハウ」を書いたが、後一つ「嘘の証拠をでっちあげて、ストーリー通りの証言を引き出す」を、加えなくてはならない。塩田元部長の証言を引き出した「石井議員への報告電話の通信記録がある」もそうだったが、こうなると本当に「嘘の証拠の提示」が取調べにおいて「常態化している」と言わざるを得ないだろう。
ジャーナリスト江川紹子さんが、上村氏の公判傍聴後、自身のブログに書かれた『地検「特捜部」は本当に必要か』を今、全国民が真剣に考えねばならない時かもしれない。
http://www.egawashoko.com/c006/000319.html
ところで、かくも深刻かつ馬鹿げた状況に陥った公判であるが、裁判長の最後の一言が、法廷を沸かせたことを記しておこう。今日の証人である北村氏へ投げかけたその一言は・・・「取調べ検事の、一泊でも二泊でもして行くか?というのは、東京の自宅(我が家?)にお泊まりなさい、という意味ではないですよね」という、お茶目なもの。思わず私は「裁判長に座布団3枚!」と声をかけてしまいそうになりましたよ、ははは。
そして特筆すべきは、厚子さんが今日はとてもファッショナブルなスーツを着ておられたこと。毎回私が傍聴記で「地味!」などと書くので、意識されたのだろうか。今日は濃いグレーのスーツなんやけど、襟とポケットとボタンに濃い緑のベルベットがあしらわれ、中に着ているブラウスも同色でシルクのタートルネック。しかも、髪を後ろでひとまとめに括る髪飾りはスーツと同色という、トータルコーディネイト!
う~む、今日はキャリア官僚っぽくてしかも上品だ。公判の行方がだんだん明確になってきて、気持ちが落ち着いて来られたのかなぁ、と嬉しく思う。
え、私のファッション? そらいつも通り、ジーンズに「ケバい」メッシュ頭でございますよ。毎回、大阪地裁の警備員に、胡散臭そうな目で見られながら、法廷に通っておりますのよ。
さぁ、この出で立ちで、明日の石井議員出廷も見届けるわよ~!!!
3月3日雛祭り、東京駅6時30分発ののぞみで大阪へ、村木厚子さんの裁判を初めて傍聴。最前列の記者席はいっぱい、穏やかな表情で入廷する村木さんにホットする。
午前中は前回に引き続き、上村氏に被疑者ノートをもとに検事が厳しい口調で尋問。
被疑者ノートを「後から修正、加筆したのではないか」としつこく迫り、裁判所の勾留尋問の際村木さんの関与を否定していないことなどを指摘して、村木さんの関与を否定する今回の証言との矛盾を突く。
ぼそぼそと小さな声で答える上村氏が、村木さんの関与に話が及ぶと「絶対ちがう」と大きな声できっぱりと断言。村木さん関与を認める調書に署名してしまったのは「自分のことだけ考えた、卑しい人間になっていた」からだと絞り出すような声で詫び、うその供述をして村木さんを冤罪に引き込んでしまったことを心から悔いている様子が伺われた。
異動早々に支援費の予算作業が待ち構えていたという職場の厳しい状況と他にも大臣印を不正使用したという本人のモラルの低さが、今回の犯罪の原因ではないか―上村氏の直属上司である室長補佐が充分にフォローしていればこのような事件は防げたのではないかと思う。
午後は村木さんの直属の部下であった企画課課長補佐の北村定義氏の証人尋問。上村氏逮捕の当日(5/26)被疑者として取調べを受け、仕事仲間がそう言っている、倉沢が自分の名刺を持っているなどと聞いて、記憶にはないがストーリーとしてありえないことではないと思ってサインしてしまった。「企画課からきた案件、北村定義氏から呼ばれた」という村松証言、倉沢氏の来訪などについても、記憶にないというばかり。被疑者としての取調べに動転し、自分の逮捕、勾留をおそれたとのこと。
供述調書には、案件が入ってきたときの流れ(企画課長から指示があり、推進室に連絡したこと)や、村木さんとの具体的会話(検事の創作とのこと)が記載されているがよく覚えていないという。
さらに村木さんが逮捕されて3日後(6/17)、村木さんの関与を認める調書に重ねてサインしている。自分の供述が村木さん逮捕のきっかけになったと知っていたか、逮捕後も関与を否定している村木さんに不利になると考えなかったのかという問いかけには、そこまで考えが及ばず、最初の時点で署名していたのでやむをえないものとして署名したという。
供述調書に入っている「村木さんを陥れたり、自分が罪を免れるためにうそをついたり作り話をしたりするのでなく、事実をありのままに話す」という文言が誠にそらぞらしく聞こえた。
北村定義氏も検察の意図的な誘導で村木さん関与を供述したことが明らかになったが、彼の証言を聞いていて午前の上村氏の時とは違う怒りを感じた。というのも塩田氏と同様北村定義氏も、仕事上村木さんと最も近い距離にあった人、そういう人が、たとえ被疑者としての取調べに動転したとはいえ、ありもしない村木さんの関与を供述することなどどう考えても理解できない。塩田幸雄と北村定義という村木さんを挟む両氏のウソの供述がなければ、村木さんが冤罪に巻き込まれることはありえなかったのではないか・・・そう思うと心底やりきれない思いがするのは私だけだろうか。
まだ裁判はやっと折り返し点にきたところ、村木さんが元気に闘い続け無罪を勝ち取る日が一日も早いことを祈るばかり、これからも皆で応援していきたい。
前日に引き続いて元係長・上村勉被告が証人として出廷しました。
~私たちは、裁判の行方を見誤ってはいけない~」
2010年2月25日(木)。
今日は2月というのに春のように暖かく、大阪の街はコート不要。
北区西天満の大阪地方裁判所に、開廷15分前の、am9:45到着。
今日の午前の公判は、1時間半検事側尋問、30分が弁護側。
午後も傍聴したかったが、神戸市内での講演活動が入っていたので、お昼休みに裁判所を後にした。
昨日・今日の公判で、上村氏の証言から、密室の取調室において検察官が「筋書き通りの供述を引き出し、調書に残すノウハウ」が明瞭になったので、上村氏の証言を再現しながら、綴ってみよう。
おそらくこのような事情聴取や取調べが行われたら、小心な人でなくても「落ちてしまい」その結果「事実と全く違う調書ができあがる」可能性が非常に高いと思う。
実に練られた、冷酷なノウハウである。
ノウハウその1。
「事件に関係無い一般的な会話(いわゆる世間話)の内容を、検察の筋書きにジグソーパズルのように嵌め込んで行く」
- 上村氏は、キャリアとノンキャリの一般的な関係について聞かれ「交流が殆どない」「軍隊的な上下関係もある」など、率直に感じていることを話した。
すると・・・「従って、課長からの指示に従うほかなかった。」「そのような厚労省の悪しき体質を改善するため、自分が捨石になろうと思って、(共謀したという)本当のことを話しました。」などという調書が作成された。 - 自分の性格が小心であることや、通院歴があって睡眠薬が必要なことなどを指摘され、それに同意すると「だから自分には、証明書の偽造を独断で行う度胸はなかった(つまりこの犯罪は、村木課長の指示による組織ぐるみのものである)」という調書が出来上がった。そのうえ不安から睡眠薬を求めても「医師の診断により」ということで却下され、眠れない夜が続いた。
ノウハウその2。
「瑣末なことは、しっかり正しく調書に書く」
- 上村氏の「公的証明書の偽造は、自分ひとりでやった」との訴えに、検事は全く耳をかさず(本当に、全く無視するのだそう)、検事の誘導によって引き出された文言のみ調書にする。しかし「○○課長は、筆頭課長という職責だ。」というような、事件の中ではどうでも良い瑣末なことを口にしたら、検事は書記にわざわざ声をかけ、それをさも重要案件であるかのように記録させたうえで「修正文」として調書に添付した。どんな細かい証言も、きちんと記録しているのだよ、という体裁を装うのだ。
ノウハウその3。
「暴力(腕力)は使わない。言葉で脅す」
- 本当のことを喋っても、検事のストーリーと違っていると「正直に話さなければ拘留期限が長引くぞ」とか「再逮捕するぞ」とか、言われる。また「河野はキチンと話さなかったので、酷い目に遭ったなぁ」などと、さりげなく、暗にお前もそうなると匂わす。
- たしかに暴力(腕力)は振るわないし、ペンを持つ手を無理やり引っ張って調書にサインさせたりもしないが、囚われているものにとって「勾留延長や再逮捕」は非常に恐ろしいことであり、実際の暴力を振るわれる以上の恐怖を感じる。
ノウハウその3。
「弁護人のアドバイスに従わせない」
- 弁護人から「自分の言っていないことが書かれた調書にサインする必要はない」と言われたが、取調室ではサインするまで、上記のような言葉の暴力を浴び続ける。
- 検事はどうしても単独犯ではなく「村木課長からの指示あり」「組織ぐるみ」という調書を作文したいのだな・・・と感じて「弁護人に相談させて下さい」と言って抵抗してみたが、やはり「保釈できないな」「勾留が長引くぞ」などと脅され、ついには諦めて言いなりになった。弁護人から「抗議文を出せば良い」とのアドバイスもあったが、怖くて出せなかった。それどころか、最後には「反省文」まで書かされた。
ノウハウその4。
「言いなりになったら褒める」
- 恐怖心や諦めの境地から、検事の望むような態度や発言をするようになると、「良い表情になってきたね。」「本当のことを話したからだね。」などと優しく言われる。また調書にもそのように記載される。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
今日までの、9回にわたる公判で、殆ど全ての証人が「事件は検察が創り上げたストーリー」「100%作文」「壮大な虚構」「でっちあげ」などと語るという、まさに異常な情景が展開されている。
この裁判は、いったい何を明らかにし、何を裁こうとしているのか。
この裁判に、これから求められるのは「虚偽有印公文書作成事件」の解明以上に、「この事件を利用して、何かを成し遂げようとした巨大な企図」を、明らかにすることではないかと思う。
そしてその企図こそが、厚生労働省現役局長であった村木厚子さんが「巨悪を成した犯罪者であること」を、必要としたのではないだろうか。
私たちは、裁判の行方を見誤ってはいけないと、思う。
どうしても村木さんの指示を言わせたかった取調べが浮き彫りに
きのうのあなたの証言は (1)文書は独断で作成 (2)河野さんに自分が渡した (3)村松さんからはこの件の引継ぎは受けていない、これでまちがいなかったですか?
他の人の証言と違いますね。「はい。」
二日めの尋問は、白井検事から昨日の上村証人による証言の確認から始まった。
「被疑者ノート」が語る当時の取調べと供述の真実
きょうの傍聴でもっとも私の心に焼きついたことは、午後からの弁護士による尋問で示され、読み上げられた「被疑者ノート」とよばれるものだ。
これは、取調べのあった日その日のうちに上村証人自身によって記録されたものであり、取調べについての記憶が生々しいもので信憑性がある。この記録の力は大きい。(弁護士から差し入れのあったA4一枚の記録用紙使用)
検事の取調べ項目、自分の供述、検事の対応、体調、取調べに対する自分の気持ちなどである。5月28日に弁護士から差し入れされた日から7月4日までの拘留期間の記録だ。私のメモでは書かれていない日は三日くらいか。5月26日の一日目の取調べでは村木さんの関与については検事は何も言っていない。28日から村木さんの関与が検事から言われ始めている。
今日の公判で信岡弁護士が読み上げたノートには、彼の次のような記述があった。
- 5・28 検事はどうしても私と村木をつなげたいらしい。しかし、村木の関与は思い出せない。
- 5.29 検事は「このまま行くと上村だけが嘘を言ってることになる。他の人は村木の関与を言っている。」という。
- 5・30 これだけ周りを固められると逃れられない。記憶に無いことを認めてしまった。
- 5.31 凛の会に私が渡したことを、嘘ということにされ、聞き入れてもらえなかった。
- 5.31 冤罪はこうして生まれるのかな。
- 6.1 調書の中で、村木の指示でつくり村木が凛の会の倉沢に渡したとなっている、ここだけは訂正してもらえなかった。私が凛の会の河野に渡したと言うことは書いてもらえなかった。(同内容のメモは3日間続いていた)
- 6・6 調書の修正は完全にあきらめた。
- 6.9 組織犯罪にしたいようだ。検事の作文にのると決断した以上仕方ないや。
- 6・14 村木逮捕は検事総長も了解していると検事が言った。
- 6.25 保釈という甘い誘惑に負けてしまった。
- 7・1 裁判で供述調書と違うことを言うと余罪で再逮捕されるのだろうか。 印象的だったごく一部を紹介したが、こうしたノートの記録の読みあげを聞きながら、上村証人は、最初の取調べから一貫して (1)私の独断で文書は作った (2)私が凛の会の河野に近くの喫茶店で渡した と言っていたのだということを確信し、上村係長が昨年秋以降になって初めて村木さんの関与は無かったといい始めたのではなかったのだと知った。
こうしたノートに基づく尋問に答え「僕の話なんてどうでもいいんだ、村木さんの指示さえ認めれば。どっちでもいいやという心境になった」と吐露。
さらに驚いたことに、彼は他にも3回大臣印の無断使用で文書を作成していたのだ。この件の取調べの中で検事が「あの件は、実害が無いので穏便に済ませようと思っている」とその件でもさらに取調べがあり、拘留は長引くことを恐れている上村にえさをまき、村木さんの関与だけは執拗に認めさせていった模様である。ここでも、倉沢、河野、塩田同様余罪をつかまれ、それをねたに検察物語を追認させられていったのであろう。ここから出たい、長引くことは避けたいそれだけを考えている人間の弱さにつけこむ検察と自分が嘘を認めてしまうことで無実の人がどうなっていくのかに思いを至らすことのできない上村、どちらも許しがたく、しかし悲しい。私には耐えられるだろうかとも。
上村証人の次の証言も書きとめておきたい。
(6・15検事が涙目になったとあるノートに関しての尋問の中で)
僕は取り調べの時(6・20前後か)国井検事も上から言われて苦しんでいるんではないですかと言いました。僕の言うことを信じたいけど、上の方針に沿ってやらなければならないのではと思った。国井検事も取り調べの様子を周りから見られているのかもしれない、涙目になった姿も・・・僕と同じように苦しんでいるように見えました、と。
午前の部を簡単に書きとめておく。
村木さんの指示で作成したことをどうしても書かせたい検事
上村証人は検事から偽の文書を作ったことの反省文を書くよう求められて書いた。しかしそれには、村木さんの指示で作ったとは書いていなかった。それについて検事に「抽象的だね」「具体的に書かれていないね」などと言われた。
村木さんの指示の部分は、「それは書けません、弁護士に相談したい」と言ったが「弁護士に相談なんかしてどうするんだ。」と言われ、心理的圧迫を感じた。いつまでも拘留されたままになるのがいやで、書き直したと証言した。
取調べのとき隣の部屋からすごい音が聞こえた。検事は「河野が嘘をつくのでとっちめられている」と言った。彼は自分も検事の言うように話さないと同じようにされると思ったに違いない。
接見した弁護士から取調べに対する抗議文を出そうかと言われたが、拘留がもっと長引くと思って出してもらわなかったのだとも。ここから出たい、拘留から逃れたい、それだけを思っていたのだろう。そのために村木さんと言う無実の人の一生を左右する嘘の調書を認め署名・押印したのだ。
すべての調書は断片的な話を都合よく補った検事の作文です
白井検事から順に調書を見せながら、この署名・指印はあなたがしたものですねと何度も尋問され、「はい」と答えると共に、上村証人は何度も「一般的なことを言ったり、断片的に話したものを都合よく検事が補って作った作文です」と証言した。同様の証言は何度も繰り返された。
元係長・上村勉被告が証人として出廷しました。
2月24日(水)am9時45分、すっかり通い慣れた大阪地裁に到着。
今日の上村元係長の出廷は「事件の天王山」とあって、傍聴券の抽選を待つ人の列が。
私は東京から来られた厚子さんのお嬢さんと合流し、家族傍聴席に着席。
今日の弁護団は、弘中弁護士はじめ8名が臨席。検事側は5名。報道関係者がいつもより非常に多い!
10時ジャストに裁判長が開廷を告げ、証人席で上村氏が自分の氏名を名乗った後「決して嘘を言わない」との宣誓文を読み上げ、第8回公判がはじまる。
結論から言うと、今日の公判は「天王山」どころか、「検察発表と真逆の」まるで「大山鳴動して鼠一匹」とも言えるような、あきれ果てる結果であった。
「大きな法改正の直前でもあり、予算策定という重要案件の前には、こんな瑣末な(障害者団体への証明書発行という)案件は、偽造してでも早く片付けようとの思いから、偽造も手渡しも全て自分の独断でやったことである。」というのが、今日の上村証言の発言要旨でありかつ、結論だ。
上村元係長は、まず平成16年のゴールデンウイーク頃に「公的証明書発行手続きのための稟議書」を偽造。
その後、6月1日未明に、誰れも居ない職場の自席で公的証明書をパソコンで偽造。
そして、午前8時過ぎにプリントアウトし、(課員なら)誰でも取り出せる所においてある「企画課長印」を押印し「凛の会」に連絡。
その日のうちに、厚労省と隣接する弁護士会館の地下の喫茶店で河野に会って、証明書を手渡した。
後ろめたい思いがあったので、厚労省内に河野を入れたくなかった。
手渡してすぐ、厚労省に走って戻った・・・と証言する上村氏。
この証明書で河野らが何億もの利益を上げるなど予想だに出来ず、従って偽造証明書の発行がバレルとは、全く思わなかった。
証明書を手渡した後は、瑣末な案件を処理出来たので「これで重要な予算の仕事に専念できる」と安堵した。
消え入るような小さな声で、ぼそぼそと、淡々と証言する上村元係長。
今日は検事側尋問だったが、検事もあきれたように「上司に相談しなかったのはなぜか?」「何度も正式な決済を仰ぐ機会があったのじゃないか」「公務員として偽造に不安などを感じなかったのか?」と、公務員の倫理観について問いただすが「早く処理したかった」「目の前からこの案件を消したかった」と、応え続ける上村氏。
その声は聞き取れないほど小さく、時折、鼻水をすすり上げて泣き声となる。
この人には、公務員としての倫理観も矜持も無いのか!?
こんな部下の一人芝居のために、厚子さんは逮捕され、長期間勾留されたのか!
厚子さんの無念を思い、傍聴席で怒りに身体を震わせながら私はメモを取り続ける。
上村氏の証言が続く。
河野からは、脅かしも、強い催促もなかった。議員案件と言われているが、石井議員の名前については、証明書を手渡した喫茶店で河野に見せられた名刺に、手書きで「衆議院議員 石井一」と書いてあったので、あぁ政治家も関わってた案件だったのか、と感じた程度だ。
自分には政治家のことなどどうでもよく、早く偽造証明書を渡して職場に戻りたかったことだけ覚えている。決してバレないと思っていたのに・・・・・こんなことになるなんて・・・と、まるで「自分は不運だった」と言わんばかりの上村氏の証言に、怒りと驚きを通り越し、遂には情けなさが胸に広がってくる。
と同時に、大きな疑問がわきあがる。
上村氏は、検察での取調べ当初「独りでやった」と供述していたようだが、いつの間にか「村木課長の指示」「政治案件なので急いで、と言われてやった」などと証言が変わって行った。
それはなぜなんだろう?
上村氏が河野被告に偽造証明書を直接手渡したのなら、「倉沢被告が、受け取った日付けも思い出せないくせに、村木課長から、課長席で証明書を手渡されたと、執拗に言い続ける」のはなぜなのか?
今日、上村氏はこの倉沢証言を「全くの嘘。自分が河野に渡した」と何度も明言した。
「厚子さん関与説」の決定的証拠とも言うべき「倉沢証言」の筋書きを創造し、彼にそれを言い続けさせているのは、いったい誰なのか!!??
巨額の利益を得た河野、倉沢らが罰金刑で短期間で保釈され、上村氏も250万円の保釈金で釈放。厚子さんの元上司は逮捕すらされず、厚子さん一人が「逮捕され、地位も名誉も剥奪され、5ヶ月間も真夏の冷房すら無い拘置所に勾留されたうえに、1,500万円もの保釈金を積まねばならなかった」のは、いったいなぜなのか!?
裁判の行方を見つめる私たちにとって今必要なのは「現代日本に起きた、こんな理不尽な出来ごとのプロセスを、きっちり解明することだ」と、私は思う。
今日の厚子さんは、ごげ茶色のスーツにクリーム色のとっくりセーター、そしてひっつめ髪といういつもの清楚な(っていうか、地味っ!)な姿。
傍聴席で私の隣に座る厚子さんのお嬢さんも、厚子さんと同じように髪をキュッと後ろでまとめ、でもそこには愛らしいリボンが揺れている。静かに公判を見守るお嬢さんからは、「母が突然逮捕・勾留される」というショッキングな出来事を前にしても、母の無実を信じる強い意思が伝わってくる。
「人は弱いものだから・・・」
取調べに「ポロポロ落ちて」、その結果、厚子さんを陥れた男たちを私が非難した時、静かにつぶやいた厚子さんの声を思い出す。
そしてその厚子さんは、いま法廷で、泣きながら偽造証明書作成の顛末を証言する上村氏を、慈母のような眼差しで見つめている・・・
「私も冷静に公判を見つめ続けよう・・・」そう心のなかで誓った時「午前の公判はこれで終わります。」と、裁判長の宣言が耳に届いた。
◇
13:20、午後の公判が開廷。検事側尋問が続く。
尋問のポイントは「上村元係長は、なぜ今日の公判で供述調書の内容を覆し、単独犯だと証言しているのか」「どのような取調べが行われたのか」に絞られて行った。
公判担当のS検事は、取調べで作成された何通もの「供述調書」を、時系列に上村氏に示し「あなたはこの調書を確認し、署名し、指印を押していますね」と問いかけ「はい」の返事を聞いてから、「今日の公判での証言と調書の内容がなぜ違っているのか」を問いただしていく。
S検事「あなたの今日の証言は、供述調書と同じですか?」
上村氏「全く違います。調書では、『石井議員からの依頼を部長が受け、村木課長を通じて指示が社会参加推進室に降りてきて、公的証明書の偽造がなされた』という流れになっているけれど、すべて検事の作文です。いくら『私が単独でやった!』と言っても全く聞いてくれなかったんです。全部でっちあげです。」
S検事「100%作文なんですか?」
上村氏「真実を語ってる部分もありますが、単独でやったことが書いてないので、すべて作文といえます。」
S検事「でもあなたは弁護人から、供述内容と調書が違っていたら署名しないようにと、アドバイスを受けていたでしょう? だからあなたは、調書が証拠になると分かっていたと思いますが。」
上村氏「全然知らない所に連れてこられて(注:上村氏はいったん東京地検で取調べを受け、その後検事に新幹線で大阪地検に連行され、そこで逮捕された。ちなみに、自分の旅費はATMでその時に下ろしたという)自分に起きていることが何が何だか分からなくて・・・ドキドキしたりして・・・眠れなくて睡眠薬を頼んだけど、医師の診察で却下されました。今も睡眠薬が必要な時があります。」
S検事「取調べの時、検事が怖かったんですか?」
上村氏「いえ、優しい・・・普通の人です。でも自分に都合の良いことだけをメモして調書にして・・・私の言うことはメモも取らないんです。この事件は、厚労省の組織犯罪だ。あなたはトカゲの尻尾切りされてるのだ。厚労省の膿を出し切って良い組織にするには、事件を糺さねばならない、というのがその検事の口癖で、何度も何度も聞かされました。ノンキャリはキャリアに蔑視され、差別されてる・・・というのも検事が言ったのに、僕の供述のようになっています。たしかにキャリアとノンキャリとはあまり交流がないし、ノンキャリ同士でつるむ(飲みに行ったり?)ことが多いけど、それを伝えたら蔑視や差別と書かれたんです。」
傍聴席から失笑が漏れる。
S検事「でも、村木さんの関与について書かれている調書に、あなたは署名してますよね?」
上村氏「村木さんの関与なんて、自分は一度も言ってないのに、拘留期間が長引くよとか、再逮捕をちらつかされたり・・・有形無形の圧力が有って、関与について『はい』と言ってしまったんです。それだけじゃなく、あの人はああ言ってる、この人も認めてるって、外堀を埋められるような感じで言われると、弱い立場なので、もういいや・・・と諦めの気持ちになってしまいました。自分の意思とは違うけれど、大人しくしないとダメだ・・・と、ずるいかもしれないけど、自分の身を守ることだけを考えるようになってしまいました。検事さんはね、体調はどう?とか食事はちゃんと食べれてる?とか、優しく聞いてくれるんですが、僕の供述は無視して、自分の考えをどんどん冷静な態度で調書にして行くんです。この人が豹変したら僕はどうなるんだろうって・・・その冷静さがすごく恐ろしかったです。話が、どんどん大きくなって行き・・・恐怖感でいっぱいでした。」
上村氏が、涙を流し鼻水をすすりあげながら語るのを聞きながら、私は思った。
上村氏の小心な性格、公務員としての倫理観の希薄さなどによって、証明書が偽造されたのは確かなことであり、恥づべきことである。
でも上村氏の小心につけ込んだり、厚子さんの上司であった元部長に「嘘の証拠」を突きつけて偽証を引き出したりしてまで「この事件は、国会議員案件から発した厚労省ぐるみの犯罪であり、その要は村木厚子元課長である」とのストーリーを創作し、厚子さんを極悪な犯罪者として逮捕・勾留し続けた検察の卑劣な行為は、偽証させられた証人たちの比ではない。
なぜこのようなストーリーが創作されたのか、かならずや明らかにしなければいけない、と。
今日の公判が終わり、法廷を後にする人の中に「見知った女性」がいたので、思わず会釈すると、彼女も少し怪訝な顔をしながら会釈を返してくれた。
「誰やったかなぁ・・・?」考えながら地裁を出たとたんに「あ、ジャーナリストの江川紹子さんやったんや!」と気づく。
見知った人と思ったのは、TVでよく拝見するからだったのですね。
怪訝な顔をされたのも当然と、一人で赤面。
江川紹子さんも今日の傍聴記をツイッターに書いておられるので、ぜひ読んで下さい。
http://twitter.com/amneris84
上村氏の声が小さくて私には聞き取れなかったんやけど、江川さんのツイッターには
「もう一つ上村証言より。村木課長(事件当時)の逮捕は、検事総長が了解したと、(國井検事が)言っていました」 との記述があります。
さすがにジャーナリストの耳、ですねっ!
明日は、検事側が1時間、その後弁護側尋問。
私は、午後神戸で講演するので、午前中のみ傍聴する予定です。
<上村証人尋問>
実際に虚偽有印文書を作成したという上村証人の証言だけに大いに注目して傍聴席に着いた。大柄な人が入廷してきたが、声はこの人も消え入るように小さい。身を乗り出すようにして聞き取った。
「稟議書を作って凛の会にFAXし、証明書の作成を先送りしてきたが、先送りでにっちもさっちも行かなくなり、もうやっちゃえ!と・・・作った」と。
開廷から1時間ほどたったころ検事が、「あなたの先ほどからの証言にある“この件を目の前から消したかった”と言うこと“先送りのため”との関係はどういうことですか?」という質問に上村証人は上のように答えたのだ。
村木さんは当時企画課長でお顔は知っていたが、仕事の話をしたことは無いと冒頭から村木さんからの指示を受けていないと思われる証言で始まった。
検事が問題の虚偽有印文書を示し、「これを作成したのはあなたですか?」と質問すると「はい」と認めた。
前任の村松係長からも凛の会の件について引き継がれた記憶はない。4月半ばに凛の会河野氏からの電話で初めて証明書の発行を求められていることを知ったが、4月は係長になり立てで予算の仕事をするのがまず第一だったので、この件は先送りにした。前任者(村松)には、予算に関しては電話でたずねるなどしたが、この件では記憶に無い。と。
検事が「上司である室長補佐や企画課に相談したことはなかったのか」と質問すると「ありません」と。村松さんが知っているだろうとは思ったが、他に誰も知らないと言う認識だった。上司に相談しなければいけないとも思わなかった。と。「上司に報告しなければいけないとは思わなかったのか」ときかれ「予算が仕事の中心だと思っていたので、証明書は勝手に出してしまえばいいと思っていた。いつまでも引きずらず自分の前から消してしまいたかった。5月中旬あたりから予算の仕事はどんどん忙しくなった。制度が変わったので去年の予算をいじればよいと言うものではなかった。抱え込んで堂々巡り・・・自分の性格もあり・・・・と。当時を語り、冒頭の証言となったのだ。
ばれることは無いと思ったとも。上司は誰もこの件を把握しているとは思わなかった。とも証言。
検事が「村松係長は、先日の証言で国会議員絡みの案件だと口頭で引きついだと証言したが」と聞くと、きっぱりと「私は引継ぎなど受けていない」と。
凛の会 河野に私が手渡し、走って帰った
夜中に偽の証明書を作り、翌朝八時に課長の印を押してその日のうちの厚労省近くの喫茶店で河野さんに手渡した。サンダル履きのまま行って走って帰った。けりをつけて1分1秒でも早く職場に戻りたかった。河野さんに渡した時、河野さんの名刺と倉沢という名刺をもらった。その倉沢の名刺の上に手書きで石井一事務所と書いてあった。このことがすごく印象に残っており、このとき初めて石井先生が絡んでいるんだなと思った。渡した相手は河野さんだったと明言できる。怪しい団体だと思った記憶は無い。その後、凛の会のことは一切話していない。縁が切れた、とも。
嘘です 倉沢証言、河野証言
河野証人は「証明書を受け取ったのは私ではない」と証言し、倉沢証人は「私が村木課長から受け取った」と証言したがと、検事に言われ「嘘です」と即座に二つの証言を否定した。
またしても、「村木さんが指示し作らせ、渡した」と言う検察側の主張は覆された。
上村証人は、自分で作り自分で渡した。罪の意識はあったが自分の胸にしまっておけばばれないと思ったと言うのだ。この証明書が莫大な利益を生むために使われることなど考えもしなかったと。国会議員絡みとは、渡す時知ったのであって、その圧力があったとは言わなかった。河野からの圧力も無かったのだろうか。明日もっと聞きたい。
木村英雄・「凛の会」元メンバーが証人として出廷しました。
「石井議員を訪問し、依頼したとする検察の供述調書は、検事の作文。全く記憶にないと何度も言ったのに、調書にサインをさせられた。」と「凛の会」元メンバー木村氏
昨日に引き続き、検察側証人の証人尋問が10時から3時まで行われた。証人は「凛の会」元メンバーの木村英雄氏
主な内容は、凛の会での役割と証明書発行へのかかわり。⇒上村さんへの思い⇒検察の取り調べ調書内容との整合性⇒検事の取り調べに対する申し入れ書を弁護士に提出してもらったという流れ。
<証言の主な内容>
*凛の会は河野氏から自分がやっている活動と木村の活動を合わせて会の設立を呼びかけられた。倉沢氏を代表にしたのは、国会議員の秘書で顔が広く産業界のつながりもあり年齢的にも上なのでお願いすることになった。役割分担は、河野が司令塔で倉沢が許認可関係、木村が機関紙、広告関係を黒木。事務所は、バートルという黒木の会社と日本映像文化支援センターとの共同利用。第3種の認可をとれば広告が取りやすいということで日本橋局に申請した。費用の20万は河野と折半した。機関紙の発行人は自分であり、申請も木村英雄名で行った。規約や名簿など文書関係は河野が文案を作り自分がワープロ打ちをするという流れ。
*厚生労働省にお願いに行ったことはない。役回りが違う。障定協へは河野の道案内的に一緒に行った。佐藤事務局長にお願いした。倉沢からの指示はない。
*証明書は、6月初めころ、事務所近くの喫茶店で河野から「証明が出たよ」とカラーコピーをもらった。機関紙と一緒にファイルした。
*証明書がどのようにして届いたかは、この事案が起こってから、河野と話して、黒木のところに郵送で届き、机上に放置されているのを見た手伝いの方の連絡で河野が取りに行ったということだと推測している。
*<倉沢氏の手帳が示され、2月25日の欄に13時石井、バートル木村とある点への質問>に対し、平成16年2月に議員会館の石井一議員事務所に倉沢氏と行ったことはない。この年、岩国議員、羽田議員の事務所には行ったことは明確に覚えている。石井事務所は全く記憶にない。私が石井代議士にあったという供述調書は、検事の作文。私は行っていないと申し上げたが、供述調書には「凛の会設立をして、証明をもらうために河野の指示で行くことになった」とか「先生から口添えしてほしい」「厚労省に知り合いがいるから電話しておいてやる」と言われたと書かれていると思う。障定協の佐藤事務局長に「石井代議士からお墨付きもらっている。石井議員からも厚労省に電話してもらっている」と書かれている。上村さんへの思いとして「巻き込んでしまった責任の凛の会の一員の自分にもあり、上村さんに謝罪したい」とも書いていると思う。石井議員のところへは行った覚えないと申し上げ、障定協の佐藤さんには石井の名前を出したことはないと否定した。上村さんのへの思いは言った。上村さんへの思い以外は明確に否定した。それなら、調書になぜ署名したのかといわれても、始めから押しつけられ否定しても、事実だお前が間違っていると否定される。明確に記憶にないと申し上げ、岩国・羽田は明確に覚えているのに。石井議員のところに行って首実検してほしい。石井議員がお前来てたなと言われれば、腹を切るとまでいった。検事が何かの情報でシーンを作り作文をした。
検事は、声を荒げて立ち上がったり、机をたたいたりはした。圧力は感じた。取引は持ちかけられなかった。私が行ったことはないといっても「いいんだ、いいんだこれにサインすればいい」と言われ、夜の8時を回っていたので、圧力を感じ仕方なく署名した。
*河野さんに弁護士を紹介してもらい、取り調べの内容を説明し、申し入れ書を提出してもらった。検事の名前が国井なのに林谷と間違っているのは、河野の弁護士が書いた申し入れ書をベースにされたからと思う。
*障定協の佐藤事務局長にわたした木村の名刺に<石井―TEL―村松>と記載されていることについて、やり取りの中での記憶もない。代表が倉沢であり、国会議員の秘書で年齢も高く顔が広いと申し上げたと思うが名前までいったかは記憶にない。
*村木さんとは面識がない。法廷にはいった時、会釈をしたのは、ご迷惑かけて申し訳ないという思いで。
傍聴し終わって、検察のストーリーは明らかになりつつあるが、本当に誰が動いたのかがやはり霧の中・・・村木さんの無実だけがクリアになっていると実感。
今日は、下の娘さんが傍聴に来られ、村木さんもうれしそうだった。昨日同様村木さんは、熱心のメモをされていた。
前日の不快感が残ったまま法廷に向かったが、始まってみるときのうのことは忘れて証言に耳を傾けていた。木村証人は、倉沢、河野と共に凛の会を設立したメンバーの一人で、凛の会の会報紙を作ることを担当していた人物である。元業界新聞の記者だったという。
第3回公判で証人にたった凛の会会長倉沢が、石井一国会議員に厚労省への口添えを頼みに行くとき同行したとされる人物である。
石井一事務所に私は行っていない、映像が全く浮かばない
木村証人は検事の質問にも弁護士の質問にも明確に答えた。
その理由として、倉沢は顔が広いこともあり厚生労働省への申請などが任務、河野は司令塔の役割、木村は広報紙凛の作成と明確に任務が違っていたから。
取調べの検事から「倉沢と行っただろう」と言われたが否定した。しかし、供述調書に石井一のところへ行ったと書かれているので、「違うでしょ、それは検事さんの作文でしょ」ときつく言ったが、「お前は間違いなく行っている。」と聞き入れてもらえなかった。検事は立ち上がり、声を荒げ、机をそのたびに叩かれ圧力を感じたと証言。
今回改めて倉沢と一緒に石井一国会議員に会いに行ったかと聞かれ「石井一事務所に私は行っていない、映像が全く浮かばない」と供述調書の記述を否定した。
なぜ、供述調書にサインしたか
木村の言い分は聞き入れられず、石井一国会議員に倉沢と共に口ぞえを依頼するために会ったと言うことは調べる前から書かれていたと言うのだ。「検事さんの作文でしょ」と言うと「いいんだ、いいんだ。これにサインすれば」と。
署名するしかないとした。しかし、自分の意思に反するので取り調べ後直ちに弁護士に相談・依頼し、抗議の申し入れ書を検察庁に送ってもらったと証言。
村木さんにはきょう初めて会った。なぜ今朝村木さんに会釈をしたのかと聞かれると、良かれと思って団体をスタートさせたが、局長にも上村さんにも大変なご迷惑をかけたので心からのお詫びのつもりで会釈をしたと
- 今回もやはり供述調書がいかに事実とは無関係に作られるかということを知らされた一日だった。なぜ検察はその物語が必要なのか。北村課長補佐は、石井一国会議員絡みの団体だと事前に知っていたのか。後任の上村係長は、誰のどのような圧力で虚偽証明書を発行したのか。まだ眼が離せない。
元係長・上村勉被告の前任だった村松義弘・元係長が証人として出廷しました。
「企画課長村木さんから直接指示があることは、通常の仕事ではあり得ないし、指示されたこともない。」「村木さんは冤罪だと思う」と村松元社会参加推進係長。
2月16日午前10時から検察側証人の村松義弘元社会参加推進係長の尋問が、休憩を挟んで、午後3時半頃まで行われた。村松元係長は、当時公的証明書の発行担当で平成14年4月から平成16年3月末までの在任期間中の取り扱いは、証明書が1件のみで、相談は「凜の会」案件のみであったという。
証人尋問の主な項目は、
- 凜の会の案件に関わったいきさつ。
- 村木課長との関わり。
- 検察の取り調べの状況
<証言の主な内容>:「記憶にない」が連発され、発音も不明朗で聞き取りにくかった。
*証人が「凛の会」関係者との面談で明確に覚えているのは、2回、検察官から3回と言われそうかなと思ったという。
第1回目は、2月下旬頃企画課事務室で、事前に北村企画課長補佐から「近々障害者団体の証明のお願いに来るよ」と言われていたが、北村課長補佐が何故知っているのか解らない。企画課から社会生活推進室に呼びに来られたので、田村補佐と金井室長の3人で企画課に行った。課長席あたりで挨拶をした。そのときは、村木課長と北村補佐がいた。
倉沢さんが国会議員の石井一の事務所のものと自己紹介し、「証明書の発行をお願いする」と言った。村木さん北村さんが何を言ったかは覚えていない。
場所を変えて倉沢さんに手続きについて(必要書類などについて)説明した。田村補佐も同席していた。倉沢さんの凜の会の説明が今ひとつ要領を得ないので大丈夫かなと疑問を持った。しっかり書類を出してほしいと言った。
2回目に凜の会関係者と会ったのは、河野さんとで、3月に入ってから。具体的やりとりを覚えていないが、私から河野さんに障害者定期刊行物協会(障定協)に行って相談のってもらったらと言ったと思う。河野さんに言ったか倉沢さんに言ったかは記憶が曖昧。少し怪しいかと思い田村補佐に相談したと思う。障定協に行かせたのは、二重チェック的意味合い。障定協の加入を待つつもりではなく書類が整えば厚労省独自で証明を発行するつもりだった。(何故、障定協を紹介したのか、何度もやりとりがあったが証人からは、明確な理由は示されなかった。)きちんと書類があれば判断できるし、基準満たせばいいが、基準満たさなければ障定協の加入が必要と考え河野に障定協を紹介したと思う。
<障定協の佐藤事務局長が持っていた凜の会の木村さんの名刺>が示され、そこに「石井TEL→村松」と書いてあるメモについての質問については、「解らない、石井議員からの電話はない」。
「4月に人事異動があるので田村補佐から後任の上村さんに引き継ぐよう言われた。」
*上村係長への引き継ぎ書には、「凜の会」の案件の記載がなかった点について、前任者からの引き継ぎ書に手を加えたので、なかった項目を付け足すことをしなかった。(手抜きなのかわざとなのか不明)口頭で引き継いだ。
引き継ぎとしては、石井国会議員がらみの問題だが今までのところ実態がよくわからない団体なので慎重にやるように引き継いだ。
<会則、機関紙>が示された。これへの証人のコメントは、「障害者というより高齢者福祉の色合いが強いと思う。」ということだった。
*取り調べの様子と供述調書についての尋問
村木課長から「ちょっと大変に案件だけどよろしくね」といわれたと調書にある件については、「私からは言っていないし、そんな事実もなかった。村木課長には、決裁とるときに説明するという場面になる。(決裁の流れが説明され、)通常、推進室長を飛び越えて直接課長からの指示はない。この件でも村木課長からの直接の指示はなかった。」
「議員案件であろうと理由がないものはできないし、議員さんは、理由をきちんと説明すれば理解してくれる。議員案件とそうでないものと明確に取り扱いを変えることはない。」
*北村企画課長補佐に誰が指示したのか解らない。課長か部長と思っていた。
*上村さんの逮捕直後でもしかしたら私も関与しているとされるのかと、私は捕まらないですよねと林谷検事に聞いた。検事は、ここで洗いざらい言わなければどうなるか解らないと言われ、いやだった。これ以上逮捕者は出ないと言われて、覚えていることは話そうと思ったが、覚えていないというとそんなことはないだろうと検事に厳しく言われた。上村さんの関係で証拠になるとは思ったが他の人に影響があるとは思わなかった。
*村木さんの関与について
証人は、「私が検察側の証人であることは心外。村木さんが上村さんに指示したというが、それなら前任の自分に指示があって当然。それがなかったので村木さんは冤罪と思う。事情聴取の時にも何度も申し上げた」と証言。
*取り調べが終わって厚生労働省によって長谷部補佐に取り調べの様子を報告した。どのようなことを聞かれどのように答えたのかと言うことを報告した。
<村松係長の取り調べ状況>と言う長谷部メモが示され、その内容の確認が行われた。証人は、内容はおおむねその通りだが、最初の文章の下りで、「村木課長から依頼があり・・・」とあるのは、自分は言っていないと述べた。長谷部メモは、長谷部が私の話を聞いてまとめたもの。私は、当日それを見ていないし、確認していない。
*証人尋問に当たって検事とは2回打ち合わせた。弁護士からの打ち合わせ依頼は、自分が検察側証人なのでまずいと思い断ったが、検事からは、断らなくてもよかったといわれ、あってもよかったと思っている。
村松証言は、「企画課長村木さんから直接指示があることは、通常の仕事ではあり得ないし、指示されたこともない。」「村木さんは冤罪だと思う」ということは、明確に証言したが、他のことは、ほとんど記憶があいまいであると言い続け、本当の経過がどうなのか、霧の中のような証言だった。
村木厚子さんは、始まる前、私とHさんに「おはようございます。有り難う。」と元気に声をかけて法廷入り。キャラメル色のセーターとこげ茶のスーツで終始、メモを取っておられた。
真冬の再来のような寒い朝、偽の証明書を作成したとされる上村係長の前任者の村松係長の証人尋問が始まった。前回の公判で村木さんの元上司塩田元部長の証言により、電話の更新記録があるという検察の虚偽説明が明らかになり「すべては壮大な虚構だったと思う」「村木課長に指示はしていない」と検察側主張を覆す証言があった後だけに、今回は前回より傍聴席の人も増えた感じであった。
村松証人の証言は私には聞こえにくいだけでなく、あいまいでわかりにくい証言が多いという印象であった。私はどこか疑いながら証言を聞いている自分に気づく。それでも今回も、村木さんが無罪だという点での証言は、明確だった。
- 村木さんは冤罪じゃあないかと思う。
- 村木さんから指示はまったく受けていない。
- 村木さんには倉沢に説明後も何も報告もしていない。
- したがって、報告したとき「ちょっと大変な案件だけどよろしくお願いね。」と言われたと供述調書にあるがその事実はない。と
その一方で、これは国会議員案件だと当初から思っていたような証言がしばしば聞かれるのに、いつ・誰からそのことを聞いて受け止めたのかは明確でない。
- 事前に北村課長補佐から「近々証明書の依頼にくるよ」と聞いたような気がすると、その時議員案件と思っていたようにも受け取れる。倉沢が2月下旬初めて企画課社会参加推進室に証明書の発行を依頼に来た時、国会議員の石井一事務所のものと名乗ったと言い、その時点で議員案件と認識したようでもあり、どの時点で誰の言葉で国会議員案件との認識をしたのかあいまいである。にもかかわらず、後任の上村に引き継ぐ時には、必要書類が出たら証明書発行を、ただし、石井議員絡みであること、凛の会の実態は良くわからないので慎重にと、口頭で引き継いだと言う。「上からきた案件」と言ったのではなく議員案件と言ったとも証言。
- 議員案件なら、必ずそうしなければということはなく、基準を満たしていなければダメな理由をいえば議員はわかってくれる。取り調べでも言ったとも。
村松証人は公判前の弁護側からの打ち合わせの要請を断っていた。理由を聞かれると「自分は検察側証人だから」と。検察官があわてて「それは悪いことではないんですよ」と。
彼は一体何を恐れて真実を言い切らないのだろう。私が知りたいのは、真実であり、物語の作られた背景である。村松証人の話はとても疲れた。ロバの耳がほしい。
塩田幸雄・元障害保健福祉部長が証人として出廷しました。
~塩田元部長、すべては壮大な虚構と証言~
「すべては壮大な虚構だったと思う」。
塩田元部長の証言に法廷内のすべての人が唖然とし、法廷内が凍りついた。
次の瞬間、記者たちが(速報を社に送るため)法廷を飛び出す。
塩田部長が、石井一議員から電話による依頼を受け、部下で企画課長であった村木厚子さんに「きちんと対処するよう」指示を出し、厚子さんが「重大な議員案件」と感じて、部下である上村係長に「何度も、強く命じ」実態の無い「凛の会に、身障低料第三種郵便物発行のための偽造証明書が作成・発行された。
そして厚子さんが「凛の会元会長:倉沢被告」に偽造証明書を手渡し、「無事に案件処理できた」と塩田元部長に報告したところ、元部長はそのことを、石井議員に電話で報告。
そのような厚労省内の流れの結果、河野・倉沢両被告が多くの企業と組んで発行したDMは、数百億円分の郵便料金を不正に浮かせるという詐欺事件を産んだ、というのが、検察側が描いた本事件の全容である。
ところが今日、塩田元部長は「(自分が取調べで供述した)石井議員から電話依頼を受け、倉沢から挨拶され、厚子さんに処理を指示した、という供述を行ったのは、厚子さんから受けた結果報告を石井議員に電話で報告した時の<4分数十秒にわたる電話交信記録がある>と、取調べの検事から言われたことを信じたからである。」
石井議員からの依頼、倉沢に会ったこと、厚子さんに指示したこと、すべて記憶に無いことだったが、交信記録によって「石井議員への報告」が明確になっているなら、記憶には無いが、そのような流れで厚労省内に指示が流れて行ったに違いない、と思い込んで取調べ検事(林谷検事)に証言したものである。
検事も自分も「誇りあるプロの行政官である」という、信頼関係基づいて供述したものであったが、最近になって公判担当検事から「通信記録は実はありません」と言われ、ショックを受けると共に「大変な(誤った)供述をしてしまった。」「厚子さんを無実の罪に陥れてしまった」と気づき、今日は「実は記憶に無いことを、供述させられてしまった」ということを証言するために、法廷に来た。
「すべては壮大な虚構だったと思う」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
法廷にいる者たち全員が、厚子さんの無実を確信するとともに、検察の無謀で悪質な取調べに、怒りを覚えた瞬間であった。
~誰が厚子さんを陥れたのか!?~
第5回公判を傍聴し、一日が過ぎたが、塩田元部長の証言を思い出すたびに、驚きあきれると同時に、怒りがふつふつと込み上げる。
厚子さんの不当逮捕・長期勾留というだけでも許せない思いでいっぱいだが、「虚偽の証拠によって、証言を誘導する」などという異常な取調べを検察が行うなど、許せないばかりか、背筋が寒くなるような恐怖を感じる出来事だ。
昨日の公判での証人出廷まで、塩田元部長については「厚子さんを罪に陥れ、自分は安全圏に隠れている」と、多くの人が思っていた。卑怯だ、許せない、出て来い、塩田元部長! という声が多数あった。そんな声に対して、厚子さんがいつも静かに「人は弱いものだから・・・」と話されることに、歯がゆい思いを抱いた者もいたくらいだ。
でも、吹っ切れた態度で法廷に現れた塩田氏は「密室の取調室で検事から、私が石井議員に証明書が発行されたことを報告する4分数十秒の電話交信記録がある」と言われ、「それならばきっと、記憶には無いが、最初の依頼も自分が石井議員から受け、村木さんに対応をお願いしたのだろう・・・と思い込んでしまった。」
「何度も何度も、交信記録があるのは本当か?本当なら見せて欲しいと頼んだが『有る』というだけで検事は最後まで見せてくれなかった。私は、お互いにプロの行政官であるという信頼感があるので『それが嘘だ』と思って聞いたのではない。自分が石井議員に報告した交信記録の内容を、正確に知る必要を感じたからだ。」
しかし「嘘」だった。
「交信記録は無い」のだと、裁判が始まってから、他の検事から聞かされた時のショックは、とても言葉では表せないくらいだ! 今ではこの事件は「壮大な虚構だと思っている」と、怒りを込めて証言し、そして何度も塩田氏は「村木さんに、本当に申し訳ないことをした。」と、証人席で繰り返した。
そんな塩田氏に裁判長が「では、あなたにとって事実といえることは何ですか?」と問うと「事情聴取を受けたことと、今ここに座っていること。それだけです。」と言って、唇を噛み締めた。
つまり事件の「出口」に自分が確実に関わっているなら、石井議員から電話を受けたという「入り口」にも、議員対応が仕事であった自分が関わったに違いない・・・いや、きっとそうだ・・・と、塩田氏に思い込ませる悪魔のような手口を使った林谷検事。そして取調べを担当する林谷検事に「そこまですることを命じた(!?)」大坪弘道特捜部長。
取調べに関する検察側のメモがすべて廃棄されて存在しない、という事実も含め「まさに日本の特捜検察の力量と倫理観は、地に堕ちた。」と言わざるを得ない。
虚偽の証拠によって誘導した供述調書と、虚構のストーリーを目の当たりにしながら公判に臨まねばならないS検事、E検事はじめ、公判担当検事の皆さんに、同情を覚えるほどである。
とはいうものの、裁判はどうやら、予定通り粛々と23回にわたり開催されるようである。もしかしたら検察側の必殺技が繰り出されるのかもしれない。厚子さんの完全な名誉回復までの道のりは、裁判の全てが終わり、無実が確定されてはじめて、その一歩が始まるのだから、気を緩めることなく見守り、支援し続けて行こうと思う。
2月8日(月)10:00~16:00
塩田元部長(村木さんの元上司)尋問
検察物語の根幹崩壊
民主党石井一国会議員から電話を受け、村木さんに対応を指示したとされる上司であった塩田証人の尋問。
私が注目して聞きたかったことは以下の3点だった。
- 石井議員から電話要請はあったのか
- 村木さんに対応を指示したのか、無かったのか。
- 証明書ができたことを石井議員に電話報告したのか
すべては取り調べ検事が言ったある前提とひとつの思い込みに元づくもので本当の自分の記憶ではないと、塩田証人は三点すべてを否定した。
検察は「供述調書に指印を押したのは、あなたですね。間違いないですね」と繰り返し尋問していく。
そのたびに、塩田証人は以下のような趣旨の証言を重ねた。
- 指印を押したことに間違いはありません。しかし、その内容は違います。
- 村木さんに指示したというのも幻想で、自分が石井議員から電話を受けたという前提でそう思った。受けたなら、通常対応については課長に指示するものだからと。本当の記憶では指示していません。
- 石井議員から電話があったといわれると、国会対策は自分が対応していたいから電話に出たのも自分しかないと思い込んでいた。記憶とは違う。
- 証明書ができたことを石井議員に電話報告したことになっているのは、取調べ検事から「4分余の交信記録がある」といわれ、それなら自分がしたのだと、交信記録があることを前提に答えたものだ。記憶にはない。
- 何度も交信記録を見せてください、といったが見せてもらってない。
- 公判担当の検事から交信記録はないと聞き、大変驚いた。
検事からの尋問にこのように答え、開廷から一時間あまりたったころ、塩田証人は「この事件は、壮大な虚構だと思った」と。
この瞬間、検察の嘘の説明、その前提の上に供述させた検察物語は崩壊した。調書というのは本人の口から語られたことがつづられるのではなく、検事の提示する情報と状況設定を前提に、その中で作られた細部を含めて検事が語り、「はい」、「そうだと思います」などを本人に言わせ、まるで本人の語りのように繋いでいき、指印を押させるものなのだと知らされた。
6時から、支援してくれている人たちに報告する場を持ちました。村木さんの無罪はますます多くの人たちに確信されることとなった。
前日に引き続いて倉沢被告に対する証人尋問がありました。
第3回 2月3日(水)10:00~17:00 証人:河野・倉沢
第4回 2月4日(木)10:00~17:00 証人:倉沢
2日間の傍聴記を、まとめて書きます。
自分自身の予定では、2月3日のみ傍聴。4日は娘マキの病院で開催される誕生会(マキは2月2日、37歳になりました!)のため欠席と思ってたんやけど、3日の傍聴で「倉沢被告と弁護団の攻防は最後まで聞かねば」という気持ちが強くなり、2日連続で傍聴に出かけました。
開いた口が塞がらないようなやりとりが続く法廷でしたが、最も不可解なのは、倉沢被告が「公的証明書を、村木課長から直接受け取った」という証言を最後まで変えなかったことです。
河野(または、凛の会の黒木か木村)から「証明書ができたそうなので、厚労省に受け取りに行って欲しいと連絡があり、村木課長のところへ行くと、机の上に厚労省の封筒と、その上にB5サイズの証明書が置いてあり、それを村木課長が、ご苦労様といって手渡してくれた」という証言です。
多くの報道関係者や、報道を見聞きした人たちがが「今回の事件は、検察が描いたストーリではないか」と疑いながらも「厚子さん有罪説の根拠」と考えている部分です。
この「受け渡しの場面」について、倉沢被告は非常に詳細に厚労省の部屋の様子(机の配置など)や、その部屋を自分がどのように移動して入退室したかを図面で示してみせました。
それはもう、つい昨日、厚労省に行ったかのような詳細さです。
しかし課長がこのような証明書を直接手渡すことは制度上ありえませんし、またアポもとらずに受け取りに来る人のために証明書を課長が机の上において待機しているというようなことが有りうるというのでしょうか。
そこで弘中弁護士から、誰から取りに行ってと言われたか、それはいつか、そして実際に受け取りに行ったのはいつか、などと聞かれると、聞かれる度に答えが二転三転し、6月上旬といいながら、弘中弁護士が倉沢被告の手帳を見せて、6月1日から一日づつ聞いていくと、倉沢被告は「その日には行っていない。」と答え続けました。
圧巻は、弘中弁護士に「あなたは検察官と、公判について打合せしましたか?」と聞かれ「していません」と倉沢被告が答えると、慌てて検事が「法廷で嘘を言ってはいけません。打合せをしたじゃないですか。」と注意し「あ、そうです。4回打合せしました。」と言い直した場面です。
「なぜ打合せてない、などと嘘をついたんですか?」と聞く弘中弁護士に倉沢被告は「打合せをするのは、悪いことなのではないかと思ったので・・・瞬間的に言ってしまいました。」と答えたのです。
馬脚を現す、というのはこういう場面をいうんですよね!!
こうして、第3回と4回目の公判が終わりました。
合計12時間の傍聴で、メモを取る指がガチガチになってしまったけど、自分自身の目と耳で確認できて本当に良かった、と思いながら帰路につきました。
今日の厚子さんは、グレーのツイードのスーツで、ひっつめ髪はいつもの通りやけど、とても元気そう。
休憩時間に「ナミねぇ、ありがとう!」と話しかけて下さり、嬉しかったです!!(^^)/~
傍聴席はほぼ満席。アトリエinカーブの今中さんも、車いすで来られてました。
次回公判は2月8日(月)10:00開廷です。
アトリエインカーブの今中です。2月4日の傍聴に行ってきました。
公判の詳しい状況はナミさんが書いていただいているので、私は特に印象に残った意味不明なコトを記したいと思います。
意味不明なコトをしでかしたのは証人尋問に挑んだ倉沢元会長。証言は二転三転。もう、むちゃくちゃでした。
倉沢元会長の意味不明語録、その1。
「私は企業や行政に打ち合わせに行くときにはアポなしで行くんです。当日の予定は当日決めるのが常です」
むむむ……そんな話、ある訳がない。
まして彼の言う企業とはサントリー、資生堂、東京電力の超大企業だそうです。
サントリーさんとはいくらかお付き合いがありますが、その日にぶらっといって担当者が会うなんてことはまずありません。まずではなく絶対ありません。
倉沢元会長の意味不明語録、その2。
「村木課長から手渡しで証明書をいただきました……しかし、いつもらったか、わかりません」
むむむ……そんな話、ある訳がない。
彼の手帳の予定の書き込みには一定のルールがあります。
3色ボールペンを使い、時間に続いて相手先を書き込む。
予定がクリアできれば定規を使って赤のボールペンで横線を引く。
乱れのない文字。ルールの設定。彼が神経質なほど手帳を活用していたことは一目瞭然です。
その彼が村木さんから手渡された日時を手帳に書き込まないはずがない。
書き込めないのは、村木さんに会っていないからです。
倉沢元会長の意味不明語録、その3。
「検察とは打ち合わせをしていません……」
むむむ……そんな話、ある訳がない。
弘中弁護士の指摘もさることながら、検察側からも
「倉沢さん、事前に打ち合わせをしましたよね……正直に答えてください」と言われる始末。
検察との事前打ち合わせが合法的ではないと考えていたのでしょう。
「あ……勘違いをしていました。検察と打ち合わせをしました」と証言を撤回していましたが、後の祭り。
「嘘」の上塗りに傍聴席のマスコミや傍聴者からは失笑があがってました。
まだまだ、「嘘」にもとづく意味不明語録は続くのですが、このへんで。
2月4日の検察側の最大のエラーは倉沢元会長を選択したこと。
他方、弁護士側の最大のヒットは倉沢元会長に対峙できたことではないでしょうか。
次回、2月8日は塩田さんの証人尋問ですね。弁護側の場外ホームランを願っています。
2月3日、4日の公判を傍聴して
公判の中で、村木さんが無実であるという証拠が着実に積み上げられていくのを、3日、4日の傍聴で確信しました。
国会議員の元私設秘書だった倉沢証人(凛の会元会長)は、取り調べ段階で作られた自身の供述調書の多くの部分が事実と異なっていると証言し、「民主党国会議員からの働きかけがあり、厚生労働省の担当課長が公文書偽造を行った」という検察の作り上げたまことしやかなストーリーはあっけなく崩れました。
なぜそのような間違った内容の調書に署名したのかと問われ、倉沢証人は「逮捕され動揺していた。拘留され不眠症になり、精神的に不安定だった。投げやりになっていた」・・・
さらに、「自分の記憶と違っていても、検察の”お調べ”で関係者が認めていることだと言われて、サインした」「何度も調書が書き換えられ、よく見ていなかった」とも・・・。
まさに、「冤罪はこうして作られる」というお手本のような証言でした。
窮地に陥ったとき、その人間の本質が否応なく現われると思いますが、自身の偽りの供述が罪のない人にまでどんな影響を与えてしまうのかということに考えが及ばず、無責任に嘘をついてしまう人間の弱さ・・・。そしてその弱さにつけ込み、冤罪がつくられたことに強い憤りを覚えます。
村木さん起訴の根拠とされたでたらめなストーリーはほとんど崩れたものの、検察側の最後の砦かのように、倉沢証人は、村木さんから公的証明書を受け取ったと述べています。
几帳面な倉沢証人の手帳にも全く記録がなく、証明書を受け取ったという日を特定できず、受け取ったあと、その証明書を凛の会の誰に、どこで、どのように渡したかということもはっきりしない状態でありながら、なぜ村木課長から受け取ったという場面だけは細かく覚えていると証言しているのか? 不思議でなりません。
倉沢証人自身が、いけないことと認識していたという「検察との事前打ち合わせ」でどんなことが話し合われたのでしよう?
倉沢証人自身の弱さから事件に巻き込んでしまった村木さんに対し、人間としての良心が少しでも残っているなら、せめてものつぐないとして、残された真実をすべて語ってほしいと切に思いました。
そして、検察側からの一方的な情報によるマスコミ報道のせいで、多くの人たちは真実を知らされていません。一日も早い無罪判決を待ち望むばかりです。
午前中は前日に引き続いて河野被告に対する証人尋問、午後はやはり共犯として起訴されている「凛の会」元会長、倉沢邦夫被告に対する証人尋問がありました。
第3回 2月3日(水)10:00~17:00 証人:河野・倉沢
第4回 2月4日(木)10:00~17:00 証人:倉沢
2日間の傍聴記を、まとめて書きます。
自分自身の予定では、2月3日のみ傍聴。4日は娘マキの病院で開催される誕生会(マキは2月2日、37歳になりました!)のため欠席と思ってたんやけど、3日の傍聴で「倉沢被告と弁護団の攻防は最後まで聞かねば」という気持ちが強くなり、2日連続で傍聴に出かけました。
マキの誕生日は来年もあるけど、厚子さんを罪に陥れ、自らは巨額の利益を得た輩の顔・声・人品を、しっかり確認しておきたいと思ったからです。
2日間の傍聴で印象的だったのは、「凛の会元代表 倉沢被告」が、厚子さんから証明書を受け取った時「(証明書を出すのに)苦労した」とか「大変だったのよ」とか言われたという供述について、「そのようなことを言われていないと、なんど事情聴取で言っても聞き入れてもらえず、最後は体調不良にもなり、投げやりになって、サインした」と発言したこと。
また「郵政公社の森代表に、厚子さんが目の前で電話してくれた」という供述調書については、「村木課長に挨拶するつもりで机のそばで待っていたが、村木課長が電話中で、3分ほど待っても終わらなかったので、声をかけることなく退出した。その時、村木さんの電話の会話の断片が聞こえ、その中に森という名前があった、と事情聴取で話したら「それは郵政公社の森代表で、村木課長のダンナの知人であり、村木課長はその森に電話で審査を進める依頼をしたのだ」と検事に言われ、調書もそのようになっていたこと。
石井議員に議員会館のオフィスで「障害者支援組織を作ったので、認可に協力して戴きたい」と依頼し「電話しておくよ」と言ってもらい、すぐに厚労省へ行ったが、石井議員の電話の確認はしていないこと。
自分は「石井事務所」の名刺を出し、凛の会会長ではなく「石井事務所の者」と名乗って、社会推進室:村松係長に認可の相談をした。しかしながら、活動実績が殆ど無いなどで認可は難しいことや、規約や会員名簿など多くの書類が必要と分かり、その後は河野にまかせて自分は手伝っているふりをしていた、などと供述したが、検事から「これは政治案件なので、厚労省は大変重く受け止めて、塩田部長が村木課長に指示し、上村係長が証明書を偽造したという流れになった」と言われた。
自分はそのような厚労省内部の事情は分からないが、そんなものかと思って調書にサインした。でも自分は塩田部長にも上村係長にも会っていない。村松係長に会った事実しかない。
また、村木課長が(認可を求める倉沢被告に)不審そうな顔をし「困ったな、これは難しい」と言ったという供述調書については、村松係長が「これでは認可は難しい」と言ったのであって、村木課長ではない。村木課長とは、松村係長から「本件の責任者は村木課長なので挨拶しますか」と言われ、村木課長の机に行って(名刺も出さず)「石井事務所の者です。障害者組織の認可にことで伺いました。」と挨拶すると村木課長は「ああ、そうですか」と言い、それだけで自分はすぐ退出した。
それでも「政治案件」という重大な話になっている調書にサインしたのは、検事から、厚労省の関係者の方々は認めているよと言われ、また「新たな裁判員制度が導入されたので、平易な調書が必要だ」とのことだったので、納得してサインしたものである。
このような証言を倉沢被告が続けたので、法廷内がざわめき、検事が「あなたは取調べで暴力でもふるわれたのですか!?」と聞き糺す一幕がありました。
その時の倉沢被告の応えは「暴力は振るわれていませんが、テーブルを叩かれるなどがありました」というもので、「どんな時にテーブルを叩かれたのですか?」という検事の質問に対しては「証言を変えたり、言い直したり、答えを間違った時です」と返答したので、私は思わず傍聴席でズッコケそうになりました。(>_<)
倉沢被告を事情聴取したのは、坂口副検事という人だそうです。
傍聴
2月3日(火)10:00~11:30 河野証人、 13:15~17:00 凛の会 倉沢証人
2月4日(水)10:00~17:00(昼1時短15分昼食休憩)凛の会 倉沢証人
<倉沢証人>尋問
凛の会代表の倉沢とは、どんな人なのだろうか、この人はどうしてもこの目で見ておきたいと思っていた。検察側・弁護側双方申請の証人である。私がとんでもない人だと思えてきた三点を記す。
- 自分で数え切れないくらいたくさんの会社の役員の肩書きを持ち、名刺を使って暮らしている怪しげな仕事振り。(ただし、尋問中、それは会社の登記簿上のものではないと証言)
- 名だたる会社との打ち合わせなどの日程も、毎日当日の朝出勤してからその日のことを電話で連絡して行っていると証言。だから、村木さんから証明書を受け取る時もアポも取らずに近いので直接行ったと。前者もどの企業でもありえないこと。後者もアポもない人をフリーパスで厚生労働省に入れることなど今も、かってもないことを平然と言う。
- 弁護側尋問で「事前に検事さんと打ち合わせをしたか」と聞かれると「していません」と言い、あわてて検事が「打ち合わせはしたでしょう、正直に答えるよう何度もいいましたね」といわれ「良くないことかと・・・・」と。検察側にとって良くないことは言わないように・検察の意向にそってという姿勢を決め込んでいるとみえる。
証言で重要だと感じたことが三点あった
- 村木さんから証明書を受け取ったとしながら、手渡しされる際の会話「なんとかご希望に添える形に・・・」などは、はっきりと否定した。手渡し場面の倉沢の証言は、立ち位置や周囲の状況からも矛盾に満ちており、彼が村木さんから受け取ったことがうそであることが強く感じられた。
- 村木さんとは、二回あっているのに一度も名刺交換したことはないとも証言。誰かわからない人の要請を受け、誰かわからない人に証明書を渡すことなどありえない。虚偽のものとすればなおさらである。
- 元部長には会ったことがないと証言したこと。取調べの検事調書には村木さんが倉沢を元部長のところに案内し、倉沢が証明書の発行を要請したとされていたのだが
これらのことは、倉沢が村木さんから受けっていないのに検察側の作ったストーリーに沿い、受け取ったことにして辻褄を合わせようとしたことが破綻したことを物語り、村木さんの関与はなかったことをますます明確にする結果となってきた。
これから元部長などの証人尋問で、うそで塗り固められた物語が崩壊していく過程を見届け、実際に作成した人が誰にどのように追い込まれていったのか明かされることを期待して傍聴をつづけたいと思う。
共犯として起訴されている自称障害者団体「凛(りん)の会」元会員・河野克史被告に対する証人尋問がありました。
傍聴 2月2日(月)10:00~17:00(昼1時短15分昼食休憩)凛の会 河野証人
公判1日目の1月27日は、傍聴希望多数で抽選だった。残念ながら私は抽選はずれでこの日が始めてである。
<河野証人>尋問に関して
河野証人は、村木さんとの接点はない。障害者団体の実態も実績もないので証明書の発行を受けるのは難しいとの認識は最初からあったという。
河野は、それでも低料金第3種郵便を悪用するために民主党石井一国会議員の元秘書の倉沢を通じ、不正に証明書の発行をさせ悪用したというもの。河野はこのことを一貫して認めるとしながら、本裁判の肝心の村木さんの関与の有無にかかわる以下の3点については、検察の意向に沿う証言を繰り返し、自分は証明書を受け取っていないと明言した。
- まもなく証明書の発行ができるということを郵政公社に伝えるために決済の途中であることがわかる文書についても、後日の捜査で郵政公社と障定協にFAXのコピーがあったということから考えると、うちから送ったのかもしれないが全く記憶にないと証言。
- 厚労省から証明書を発行するとの連絡があり、その電話を自分が受けたのか誰かほかの人が受けて自分に伝えられたのか、この点はわからないと答え、倉沢にお礼の電話をしたことだけを強調する証言をした。
- 事務所で公的証明書を自分がコピーしたことは明確に覚えているというのに、それが郵送されてきたものか、誰かが受け取りに行ったものか、事務所のどこにどのように置かれていたものかについては、全くわからない、私は受け取っていないと証言。
民主党国会議員の元秘書の倉沢に働きかけてもらったということ、そのルートで「政治案件」だったと感じられるように証言させること、だから村木さんが関与しているという結論につなぐのが検察側の意図だと思われる検察側尋問であったが、村木さんの関与を証言させることには失敗。
河野証人自身が上村係長に証明書を作らせ、自分が受け取ったという「虚偽有印公文書作成・行使」では、検察にとっての意味ある起訴にならないということなのだ。国会議員の元秘書の介在が不可欠な検察の作成ストーリーとみた。
第一回公判では起訴状朗読、被告人意見、検察側・弁護側の冒頭陳述などがありました。詳しい内容はそれぞれのところをクリックして下さい。双方の主張を比較するとどちらが真実としての説得力を持つか明らかです。
次回からは証人調べが始まります。
厚子さん公判傍聴記 2010.1.27初公判
13:00少し前、大阪地方裁判所に到着すると、駐車場に傍聴券を求める長蛇の列。
「家族傍聴枠」を厚子さんの上のお嬢さんから受け取り、抽選の列に並ぶことなく「応援の皆さん、ありがとう」と心のなかで呟きながら、お嬢さんと一緒に初公判が開かれる201号法廷へ。
法廷は、裁判官が座る高いひな壇と、その下の左右に検察側の席と弁護側の席。
検事2名と、弘中惇一郎弁護士ら5名は、すでに着席。
中央に被告や証人が発言する立席。
「テレビで見たのと、そっくりやなぁ」と思いながら「携帯の電源を切って下さい。撮影は冒頭の報道関係者撮影以外は禁止です」という注意を聞く。
13:20。法廷右側のドアから、厚子さんが信岡弁護士と共に、いつもの清楚なひっつめ髪で入廷し、弘中弁護士の隣に着席。
横田信之裁判長が開廷を告げ、公判が始まる。
まず検察側が「起訴事実」の書面を読み上げる。
「国会議員から便宜依頼を受けた元部長の指示に従って、企画課長だった厚子さんが部下に命じて、障害者組織として実態の無い<凛の会>に郵便料金割引のための証明書を偽造発行させた」という内容だが、聞けば聞くほど、読み上げられた「起訴事実」の不可思議さを感じる。
凛の会に実態が無いことは、多くの厚労省担当部局職員が気付いていた、と言いながら、誰もが村木課長からの「議員案件なので進めるように」という指示に逆らうこともなく、しかも上村係長が書類を作成することを黙認し、なおかつその書類は、他の申請書類を改変偽造したものに課長印を勝手に押捺したものであり、その上、手続きを終えた証明書は、企画課長である厚子さんが、倉沢被告に課長席で手渡した・・・という。
「んな、アホな!」としか言えないような検察側の論に、発言を許されない傍聴者の間に、静かなざわめきが広がる。
厚子さんが「被告人意見」を述べるため、中央の席に立つ。
毅然とした後ろ姿。
紺のスーツにアイボリーのとっくりセーター。あ、今日のスカートは、いつもの「膝丈のシンプルなタイトスカート」じゃなく、プリーツが入ってて、ちょっとフレアーっぽい・・・女学生風やんか。
思わず「可愛い・・・」と呟いてしまった私。
「私は無罪です。」厚子さんの声が法廷内に響き渡る。
「誰かと共謀したり、誰かに指示したりということは一切ありません。私は、国家公務員としての仕事に誇りを持って取り組んで来ました。事件には一切関わっていません。」
弘中弁護士の冒頭陳述が始まる。
村木被告は全く無実です。共謀したり指示するどころか、上村氏がそのような書類を作っていることさえ知らなかった。
村木さんは、31年間綱紀を順守し、真面目に公務に励んで来た。国会議員の依頼であっても、可否を明確にして対応してきた。書類を不正発行して議員の機嫌をとる必要など無い。
検察は、村木さんが上村氏に指示したと上村氏を誘導し、結論を導き出したが、上村氏はすでに「自分の独断で行ったことであり、村木さんの指示ではない」と弁護士に語っている。事件は、検察が「別件逮捕するぞ」とか利益誘導などで上村氏を追い詰め、供述書面に署名、押捺させたものであり、あらかじめ検察が作り上げたものといえる。
弘中弁護士の陳述が、静まり返る法廷に続く。
倉沢氏は村木さんに会ったと言っているが、村木さんの手帳にも倉沢氏の手帳にも、どれだけ精査しても面会の記述も、本件に関する記述も無い。倉沢氏の数千枚に及ぶ名刺の中にも、村木さんのものは無い。村木さんが倉沢氏の前で「要請の電話をかけた」という、日本郵便の森代表も記憶に無いと証言している。
何より、書面の偽造が上村氏の単独の行為だとの裏付けは、彼が書面を作成したフロッピーの記録だ。作成と保存が、平成16年6月1日の未明。午前1:20ごろという深夜である。そして偽造書面作成後、課長印を持ち出して押印したのである。
村木さんが、倉沢に「証明書が出来たので取りに来るように」と連絡したことはないし、倉沢が厚労省に受け取りに来たこともない。記録もない。
検察の話は、全ておかしい!
何より、村木さんに議員案件だからと手続きを命じた塩田元部長が共犯で逮捕されていない。塩田氏が共犯でないのなら、村木さんが個人で全てを行ったことになり、ますます検察の論はおかしなことになる。
従って、検察官の描くストーリは、およそ合理性を欠き、破綻している。すべての調書は、脅し、すかして創り上げたものにすぎず、村木さんの無実は明々白々である。裁判長は、一日も早く、結論を出して戴きたい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
これ以上の初公判の詳細は、報道各紙から出る「詳報」に譲るが、公判後の記者会見では、「検察がなぜか調書作成経過のメモを全て破棄したこと」も、弘中弁護士から明らかにされた。
寒風の中、車いすの人も交え、60枚の傍聴券に約200人が並んだ初公判。今後23回の公判が続くが、厚子さんが体調を崩されることなく乗り切って行かれることを、心から願う。
「今、この時点で、無罪を勝ち取る自信は?」という記者の最後の質問に、厚子さんは力強く、こう応えました。
「これだけ力強い弁護士と支援者がいて下さることに感謝している。真実は必ず明らかになると信じています。」
村木厚子さんの第一回公判を傍聴しました。
公判は、起訴状朗読、被告人意見陳述、検察側冒頭陳述、弁護側冒頭陳述の順で進み、その内容はナミねえの秀逸な傍聴記を含むこのホームページですでに明らかになっているとおりですが、そのあと、裁判長による10数項目に及ぶ主要争点の開示と、検察側、弁護側双方による証拠開示がありました。
次回から始まる合計11人の証人調べでは、主要争点について時系列的に緻密な立証合戦が展開され、裁判官の心証が形成されていくものと思いますので、ご参考までに主な項目を記しておきます。
・塩田元部長の被告人に対する指示の有無及びあったとすればその内容
・倉沢氏の被告人に対する当初の要請の有無及びあったとすればその内容
・被告人の村松係長ら(部下)に対する指示の有無及びあったとすればその内容
・倉沢氏の被告人に対する郵便公社への要請の有無及びあったとすればその内容
・倉沢氏の被告人に対する日付をさかのぼらせた証明書発行の要請の有無及びあったとすればその内容
・上村係長の被告人に対する報告・相談と被告人の指示の有無及びあったとすればその内容
・被告人の塩田元部長への報告の有無及びあったとすればその内容
・被告人の倉沢氏への証明書交付の有無
・被告人の上村係長に対するあとづけ決裁不要との指示の有無
・被告人の動機の有無
・上村、倉沢の供述調書の真実性
この事件は、要は厚子さんが「共謀」「指示」という形で加担したのかどうかということがポイントです。
きわめて不自然、不合理、ムリムリの検察ストーリーが法廷でパタンパタンとくつがえされることを固く信じています。
特定非営利活動法人 全国地域生活支援ネットワーク事務局
〒891-1201鹿児島市岡之原町1005
tel:099-822-8705 fax:099-822-4073」
世間を騒がせた。障害者の第三種郵便許可の偽造疑惑で。
僕は。間違いなくえん罪だと思っていますので。そう表現しますが。
不当に拘置されている。村木さんに大阪拘置所で面会できました。
どうして。無実の人が。こんな囲いの中に。
こんな長期に拘置されるのか。腹立たしい気持ちでいっぱいです。……
前日、大阪駅近くのホテルに泊まった私たちは、事情を知らない誰かに、
面会の先を越されることがないよう、朝8時にホテルを出ました。
大阪拘置所にはタクシーで20分ほどで着きます。
正門脇の受付に厚子さんに面会に来たことを告げると、番号札が渡されました。
一番乗りのつもりで来ましたが、8番と9番でした。携帯電話を預けて、荷物の中にカメラなどがないことを確認してもらい、
金属探知機のようなゲートをくぐって待合室に行きました。
ここで、住所氏名などの必要事項を用紙に書き込み担当官に渡すと、しばらく待たされます。
ここには差し入れ窓口もあるので、待っているあいだに、
書籍などの差し入れの手続きもできます。
田島さんは「宮城の乱」という本を差し入れました。……
どうぞ報道に心揺らぐことなく、お母様をお待ち下さい。
私は人工呼吸器を使用している重度障害者ですが、
課長時代の村木さんには夜遅くまでお付き合い頂きました。
この気候で、健康状態が心配です。
皆様もご自愛下さいませ。

